見つめることによって造り変えられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント4:6 ……神はわたしたちの心の中を照らして、イエス・キリストの 御顔にある神の栄光の知識を、輝かせてくださったからです。 3:18 しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄 光を見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられて いきますが、それはまさに霊なる主からです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここの顔という言葉は、主の御顔、彼の臨在のことを言っています。何とわたし たちは内側に主イエスの臨在を持つことを必要とするでしょう! 彼の臨在は神 の栄光そのものです。なぜなら、神の栄光はキリストの御顔に中にあるからです。 わたしたちはキリストの臨在の中に、また彼の御顔の前にある時、わたしたちは 栄光の中にあります。今日わたしたちの必要は、主の栄光を見つめ、映すことで す。彼の栄光を見つめる時、わたしたちは栄光から栄光へと造り変えられている のです。それはまさに霊なる主からです。 キリストご自身をわたしたちの内へと造り込むことは、ふるまいや自己改善の問 題ではありません。それは、わたしたちの存在の内側が神の栄光のシェキナで浸 透される問題です。仮に、固くて冷たくて黒い一本の鋼鉄の棒が火の中に入れら れて、そこに置かれたとします。最終的に、火はその鋼鉄に浸透し、それを赤々 と燃えさせます。このようにして、鋼鉄はその天然の色を失い、白熱化します。 今や鋼鉄は輝き、赤々と燃えています。しかしながら、だれかが鋼鉄に輝くよう 教えることは、役立たず、愚かでさえあるでしょう。もしこの鋼鉄が赤々と燃え 続けようとするのであれば、それは火の中にとどまっていなければなりません。 もしそれがほんのしばらくでも火から取り出されるなら、その天然の色と暗さが もどってくるでしょう。同様に、今日わたしたちが必要とするものは、文字の中 の教理ではありません。わたしたちはキリストによって燃やされ、神の内住の栄 光としての彼で浸透される必要があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(三)」(2001年 版)メッセージ第60編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。