新しい人を着る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:24 あの実際の義と聖の中で、神にしたがって創造された、新しい人を 着たのです。 コロサイ3:10 新しい人を着たのです。その新しい人は、それを創造された方の かたちにしたがって全き知識へと至るように、新しくされつつあるのです。 (11節)その新しい人には、ギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スク テヤ人、奴隷、自由人はあり得ません。キリストがすべてであり、すべての中に おられるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 新しい人はキリストのものです。それは彼のからだであり、十字架において彼の 中で創造されました(2:15-16)。それは個人的ではなく、団体的です。新しい人 は多くの異なる人々から成る構成です。この団体的な新しい人の中には、ギリシャ 人やユダヤ人、奴隷や自由人、未開人やスクテヤ人はなく、キリストがすべてで あり、すべての中におられます。コロサイ人への手紙第3章11節の「すべて」と いう言葉は、人々のことを言っています。これは、新しい人の中でキリストがす べての人々であり、すべての人々の中におられることを意味します。ですから、 団体的な新しい人の中で、キリストがすべてであり、すべての中におられるので す。 教会を指すギリシャ語である「エクレシア」の意味は、召し出された人々の会衆 です。これは教会の初歩の面です。ここから、使徒はさらに進んで、神の王国の 同じ国籍の者、神の家族の者たちを述べています。これらは初歩の面よりも高い のですが、キリストのからだとしての教会ほど高くはありません。ところが新し い人は、キリストのからだよりもさらに高いのです。キリストのからだとしての 教会は、キリストをその命として必要とします。ところが新しい人として教会は、 キリストをそのパースンとして必要とします。この新しい団体の人は、イエスが 地上で生きられたような生活をすべきです。それは、神を表現し、神が実際であ ると人に認識させる実際の生活です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第47編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。