キリストはわたしたちの鋳型であり命である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:20 しかしあなたがたは、そのようにキリストを学んだのではありませ ん。(21節)実際はイエスの中にあるので、あなたがたは真に彼に聞き、彼の中で 教えられました。 ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主イエスは地上における三十三年半において、彼を信じるすべての人たちが同形 化されるべき鋳型、模範を形成されました。 わたしたちはこのような生活を、キリストをわたしたちの模範として倣うことに 関する近代主義者の教えにしたがった生活から区別しなければなりません。近代 主義者は、キリストは神ではなく、わたしたちが従うべき最高の標準をうち立て た人であると、偽って教えています。この教えは、わたしたちが自分の天然の命 を働かせて、キリストに倣い、彼の標準を生かし出すことを要求します。そのよ うな教えは異端です。それは、イエスの中にある実際と何の関係もありません。 それは、真の信者はキリストの中におり、またキリストを内に持っているという 事実を否定します。 この異端的な近代主義の教えとは対照的に、わたしたちが新約にしたがって語る 事は、罪人が悔い改めてキリストを信じ、キリストの中へとバプテスマされる時、 神はこの人を鋳型であるキリストの中へ入れるということです。それと同時に、 キリストは命を与える霊として彼の中に入って来て、彼の命となられます。その 後、この信者は鋳型にしたがって、彼の命としてのキリストによって生きるよう になります。彼はキリストによって生きれば生きるほど、ますます自然に鋳型の 形へと形成されるでしょう。これが、キリストの中にある生活であり、わたした ちの中におられるキリストの生活です。わたしたちは鋳型としてのキリストの中 にあり、彼はわたしたちの命としてわたしたちの中におられます。このようにし て、実際はイエスの中にあるので、わたしたちはキリストを学ぶのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第47編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。