キリストを模倣するが、わたしたちの天然の命によってではない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:29 なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたち に同形化しようと、あらかじめ定められたからです……。 ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人は救われた後、内側深くで、主イエスによって設立された模範にある生活を生 きたいという願いを持ちます。しかしながら、多くの人は、この願いを無視する か、間違った方法でそれを発展させて、自分の努力で彼に倣うことに成功するこ とができると考えます。わたしたちの天然の命を活用してキリストに倣うことが できると考えることは間違いです。 四福音書がわたしたちに及ぼす影響を認識している人は、わたしたちのうちに多 くいないかもしれません。わたしたちが福音書で主イエスによって形成された鋳 型について読む時、その鋳型は自然にわたしたちの生活に影響を与えます。わた したちは主を愛し、主に触れ、主に祈る時、福音書に記述されている鋳型にした がって、自動的に彼を生きます。このようにして、わたしたちはこの鋳型の形に 形成され、同形化されます。これがキリストを学ぶことの意味するものです。 このようにキリストを学ぶことは、彼を客観的な模範とすること、わたしたちの 天然の命の中で彼を模倣しようとすることとは、絶対に違います。神はわたした ちを、地上のイエスの生活によって形成された鋳型の中に入れられました。同時 に、キリストは命を与える霊として、わたしたちの中に命として入って来られま した。わたしたちが主を愛し、彼と接触すればするほど、ますますこの鋳型にし たがって彼を生きます。その結果、わたしたちは自然にその鋳型のかたちに同形 化されます。ですから、わたしたちはパウロと共に、「わたしにとって生きるこ とはキリスト」である(ピリピ1:21)と言うことができます。わたしたちは、キリ ストご自身の生活の形の中で、福音書に記録された形の中で、キリストを生きま す。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第47編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。