わたしたちの模範であるキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:20 しかしあなたがたは、そのようにキリストを学んだのではありませ ん。(21節)実際はイエスの中にあるので、あなたがたは真に彼に聞き、彼の中で 教えられました。 ヨハネ13:15 わたしがあなたがたに行なったように、あなたがたも行なうよう にと、わたしはあなたがたに模範を与えたのである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストはわたしたちにとって命であるだけでなく、模範でもあります。わたし たちは天然の命によってではなく、わたしたちの命としての彼によって、彼の模 範にしたがって彼から学びます(マタイ11:29)。新約聖書によれば、主イエスは 命として直接、わたしたちの中に入って来られたのではありません。そうではな く、地上での三十三年半の生活の間に、彼は一つの模範、鋳型、モデルを設定さ れました。四福音書が書かれた一つの理由は、神が願われる生活の模範、すなわ ち、神を満足させ、神の目的を成就することができる生活の鋳型を示すためでし た。こういうわけで、新約聖書は四方面から書かれた唯一の伝記、主イエスの伝 記を与えています。主イエスは福音書に啓示された模範を設定した後、十字架に つけられ、復活の中に入られました。復活の中で、主はわたしたちの中に入って 来て、わたしたちの命となられます。 イエスの中にある実際とは、四福音書に記録されているような、イエスの生活の 実際の状態を言います。異邦人、堕落した民の不敬虔な歩みには、むなしさがあ ります。しかし、イエスの敬虔な生活には真理、実際があります。イエスは常に 神の中で、神と共に、神のために、すべてのことを行なう生活をされました。神 は彼の生活の中におられ、彼は神と一でした。これがイエスの中にある実際です。 命としてのキリストをもって再生され、彼の中で教えられているわたしたち信者 は、実際はイエスの中にあるので、彼から学びます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第46編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。