神の命から遠ざかってはいけない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:17 ……もはやあなたがたは、異邦人が彼らの思いのむなしさの中を歩 くように、歩いてはなりません。 4:18 彼らは、理解することで暗くなり、彼らの中にある無知のゆえに、その心 のかたくなさのゆえに、神の命から遠ざかり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 異邦人はまた、「神の命から遠ざか」っています。この命は、神の非受造の、永 遠の命です。人は創造の時、それを持っていませんでした。人は創造された時、 創造された人の命をもって、命の木の前に置かれました(創2:8-9)。それは、人 が非受造の神聖な命を受けるためでした。ところが人は、思いのむなしさの中へ と落ち込み、その理解力において暗くなってしまいました。そのような堕落した 状態の中で、人は神の命に触れることができません。それは、人が思いを神に向 け、悔い改めて、主イエスを信じ、神の永遠の命を受けてはじめて可能になりま す。 人を創造された神の意図は、人が命の木の実にあずかり、それによって神の永遠 の命を受けることでした。しかし堕落において、サタンの邪悪な性質が人の中に 注入されました。その結果、人は命の木から遮断されなければなりませんでした。 創世記第3章24節によれば、主は「人を追放し、エデンの園の東に、ケルビムと、 あらゆる方向に回る炎の剣を置いて、命の木への道を守られた」のです。こうし て、人は神の命から遠ざけられました。ケルビム、炎、剣は、神の栄光、聖、義 を象徴します。これら三つのものは、罪深い人が永遠の命を受けることができな いようにします。主イエスは十字架上で死なれた時、神の栄光、聖、義の要求を すべて満たされました。ですから、主イエスの贖いを通して、わたしたちが命の 木に再び触れる道が開かれたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第46編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。