パウロにならって建造する者となる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:13 ついにわたしたちすべては、その信仰の一に、また神の御子を知る 全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し、キリストの豊満の身 の丈の度量にまで到達するのです。(14節)それは、わたしたちがもはや幼子では なく、波にもてあそばれたり……することがないためです……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この節でパウロは、「あなたがた」ではなく、「わたしたち」と言っていること に注意してください。パウロがこの節を書いた時、彼自身はすでに円熟していま した。しかしながら、彼は円熟していない人たちが成長するのを待っていました。 言い換えれば、彼はわたしたちが到達するのを待っていたのです。パウロは若い 人たちより先に目的地に着くことを欲しませんでした。そうではなく、彼は、わ たしたちすべてが三つの事、すなわち信仰の一に、完全に成長した人に、キリス トの豊満の身の丈の度量に到達するまで待っていました。三つの句は、実は一つ の事を言っているのです。 パウロは、すべての聖徒たちが彼の標準にまで達し、彼と同じになることを期待 しました。パウロは建築者でした。わたしたちもみな建築者であるべきです。パ ウロは偉い役人ではありませんでした。せいぜい、彼はからだの肢体にすぎませ んでした。彼とわたしたちの多くとの違いは、パウロは建造する肢体であり、わ たしたちの多くは建造される肢体であるということです。 幼子は建造する者となることはできません。彼はまず建造される者となる必要が あります。このために、霊の幼子は成長する必要があります。建造される肢体、 また特に建造する肢体になろうとするなら、わたしたちは成長しなければなりま せん。さらに、わたしたちはある技能を発展させる必要があります。聖徒たちを 成就する道は、彼らを養って霊的に成長させ、彼らを訓練してある種の技能(福 音を宣べ伝えることや他の人を顧みることなど)を学ばさせることです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第42編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。