わたしたちは他の人を祝福する賜物である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:8 そこで聖書はこう言っています、『彼は高い所へ昇られた時、とり こにされていた者たちをとりこにして引いて行き、人々に賜物を与えられた』。 (11節)そして彼ご自身は、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たち を伝道者、ある人たちを牧する者また教える者として与えられました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 指導的な使徒たちや預言者たちが賜物であるだけでなく、からだのあらゆる肢体 も賜物です。例えば、わたしの小指はわたしの体への賜物です。それは、他の肢 体ができないことを、わたしの体のために行なうことができます。わたしたちの だれ一人として、賜物となるには小さすぎると考えるべきではありません。しば しば、最も小さい肢体が、からだにとって最も有益で、最も大きな慰めを与える ことがあります。ですから、わたしたちたちはみな、キリストによってからだに 与えられた賜物です。キリストの宇宙的な旅のゆえに、わたしたちはもはや罪人 ではなく、神の子たち、御父への戦利品、からだへの賜物です。わたしたち救わ れた者は、教会に与えられただけでなく、全世界にさえ与えられました。ですか ら、どこに行っても、わたしたちは他の人にとって大きな祝福となるでしょう。 前の幾つかのメッセージで指摘したように、すべての聖徒たちは今日の使徒、預 言者となることができます(すなわち、神によって人に遣わされ、彼らに神の言 葉を語るのです)。このメッセージでは、わたしたちはまた伝道者、良い知らせ を宣べ伝える者、喜ばしい訪れを宣言する者ともなることができることを指摘し たいと思います。わたしたちは日常生活で人に接触する時、彼らに良い知らせを 告げる必要があります。これを行なうことに忠信であるなら、わたしたちは伝道 者です。わたしたちは牧する者また教える者、すなわち人を顧み、主の道の中で、 また神のエコノミーに関する事柄の中で教える者たちでもあります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第38編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。