謙虚と柔和そして辛抱強さ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:2 謙虚と柔和を尽くし、辛抱強さをもって、愛の中で互いに忍び合い つつ、(3節)平和の結合するきずなの中で、その霊の一を保つことを熱心に努め なさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 謙虚であるとは、低い身分にとどまっていることであり、柔和であるとは、自分 のために争わないことです。わたしたちは自分を取り扱うことで、これら二つの 美徳を活用すべきです。辛抱強さとは、虐待を耐え忍ぶことです。わたしたちは 人を取り扱うことで、この美徳を活用すべきです。これらの美徳によって、わた したちは互いに忍び合うべきです。すなわち、問題のある人たちを捨てるのでは なく、愛の中で忍ぶのです。 しかしながら、問題は、わたしたち自身では謙虚で柔和であることはできないと いうことです。もしわたしたちが正直で誠実であるなら、自分には謙虚も柔和も ないことを認めるでしょう。それどころかわたしたちには、自己を高くしたり、 自己を防衛しようと争ったりする傾向があるのです。謙虚と柔和がないのと同じ ように、わたしたちは辛抱強くなく、愛の中で人を耐え忍ぶことができません。 それにもかかわらずパウロは、そのようなふさわしい歩みをするようにとわたし たちに命じます。 しかし、これらの美徳は、わたしたちの造り変えられた人性の中に、すなわちイ エスの人性の中に見いだされます。マタイによる福音書第11章29節で主イエスは、 自分は心の柔和なへりくだった者であると言われました。柔和と謙虚はイエスの 人性の特徴です。わたしたち自身の中に持っているかのように見える柔和や謙虚 はすべて見せかけであり、真のテストに耐えることはできません。主を賛美しま す。復活の命の中のイエスの人性が、今日わたしたちのものとなることができま す! わたしたちは造り変えられれば造り変えられるほど、ますます多くイエス の人性を持ちます。復活したキリストの人性を持つことによって、わたしたちは 自然に、その霊の一を保つのに必要とされる美徳を持ちます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第36編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。