キリストの大きさ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:18 (あなたがたが)力に満たされて、すべての聖徒たちと共に、その広 さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得し、(19節)そして知識を超越したキリ ストの愛を知ることができるように……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちはキリストを経験する時、まず彼が何であるかの広さを経験し、次に その長さを経験します。これは平面的です。キリストの中で前進する時、わたし たちは彼の豊富の高さと深さを経験します。これは垂直的です。もしわたしたち がキリストの長さを持つだけで、何の広さもないなら、わたしたちの経験は「線」、 すなわち、長くて狭い、極端に至る経験です。もし彼の「線」の経験を持つだけ なら、この「線」はやがて極端にまで達します。キリストを広さと長さとして正 しく、正常に経験するなら、あなたは極端に走ることから守られるでしょう。 幾つかの実例があります。何年間にもわたって、わたしはある偉大な聖書教師の 話を聞きました。彼は非常に聖書の知識を持っていました。彼は祈りにわずかの 時間しかかけませんでしたが、絶えず御言葉を読み、自分の聖書に注釈を書き込 んでいました。しばらく聖書について語った後、彼は言い訳をしてパイプを吸い ました。それからまた聖書の討論を再開するのでした。 わたしの故郷の町のある姉妹も、「線」の経験を持っていました。彼女は聖書を 読みませんでしたが、多くの時間を祈りにささげました。彼女は祈りに極端に熱 心になって、何日間も断食して祈ることを決心しました。わたしたちが訪ねた時、 彼女はベッドにおり、七日間の断食のために衰弱していました。わたしたちは健 康に注意するよう彼女に促しましたが、彼女はわたしたちの勧めに気を悪くしま した。その翌日、彼女は亡くなりました。これは、「線」の経験がいかに人々を 極端に導き、迷い込ませることさえできるかの実例です。ですから、わたしたち はバランスを取る必要があります。この二つの実例は、わたしたちが祈ることと 御言葉を学ぶこととの両方に時間をかける必要があることを見せています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第33編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。