旧約に描写されたキリストの豊富 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:8 すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵 みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、福音として異邦人に宣べ 伝えるためであり。 コロサイ2:16 ……新月や安息日……(17節)これらは、来たるべき事柄の影であ って、その本体はキリストにあります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書は深く深遠です。わたしたちはその深みに入り込んではじめて、それが内容 とする豊富を見ます。聖書の表面下にキリストの豊富があります。キリストの豊 富は予表において描写されています。旧約聖書の中でキリストのすべての予表を 見いだすことは容易でありません。幾つかの予表は隠されています。例えば、創 世記第1章9節と10節で、地はキリストの予表です。(それは死の水から出て来る のであり、復活です)。他の多くの予表が創世記第1章に見いだされます。すなわ ち、光、太陽、星、木などです。 予表はおもに、キリストを表徴する人や事物です。影はおもに、キリストを描写 する旧約の中の儀式や慣例を指しています。 安息日と新月は、影でした。安息日は安息でしたが、真の安息ではありませんで した。なぜなら、真の安息はキリストであるからです。型はおもに、ある絵を提 示する状況を指しています。例えば、イスラエルの子たちが荒野でさまよったこ とは、今日のクリスチャン生活におけるわたしたちの経験の型、絵であり、それ はしばしばさまよいの生活です。過越はもう一つの型です。過越の小羊はキリス トの予表ですが、過越そのものは、わたしたちの過越であるキリストがどのよう にわたしたちを神の裁きから救い、彼が何であるかをもってわたしたちを養われ るかを描写する型です。 キリストはとても豊富であるので、彼は予表を必要とするだけでなく、彼を描写 する影と型をも必要とされます。旧約のキリストのすべての予表、影、型は、キ リストが何であるかの描写、説明、定義です。わたしたちは聖書のこれらすべて の事柄を学んで、キリストの豊富を知る必要があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第30編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。