キリストはわたしたちの成長と円熟である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント3:6 わたしは植え、アポロは水を注ぎました。しかし、成長させて くださったのは神です。(7節)ですから、植える者も水を注ぐ者も取るに足りま せん。重要なのは、成長させてくださる神です。(9節)なぜなら、わたしたちは 神の同労者であり、あなたがたは神の耕された地であり、神の建物であるからで す。(11節)なぜなら、据えられている土台のほかに、だれも他の土台を据えるこ とはできないからです。この土台は、イエス・キリストです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 「据えられている土台のほかに、だれも他の土台を据えることはできないからで す。この土台は、イエス・キリストです」。パウロはまた、わたしたちが「神の 耕された土地であり、神の建物である」とも言いました。畑にまかれた種はキリ ストです。ですから、将来の収穫も必ずキリストです。建物の土台はキリストで あり、その後の建物も必ずキリストに基づいています。わたしたちが再生された 時、神はキリストの命をわたしたちの内側に置いてくださったので、わたしたち はかつて持っていなかった命を得ました。わたしたちが再生された時に得た命は 加えられた命であり、この命はわたしたちが元来持っていなかったものです。こ れは神の働きです。人の上でなされる神の働きはみな、絶対的にこの加えられた 命に基づいてなされます。そしてこの命はキリストであり(コロサイ3:4)、神の 働きの土台です。この再生の命が絶対的に神から出ているように、それに続く命 の成長、円熟も絶対的に神によってなされます(2コリント5:5)。ここでは、人 の手はそれにあずかることはできず、人から出た「最善のもの」もこれに混ぜる ことはできません。人の最大の責任は、神と協力することであり、神の働きを妨 げないことです。ですから、聖別されるとは、実はこの命の継続です。勝利を得 るのも、この命が罪、肉、この世、サタンに打ち勝つことです。この命の成長と 円熟も、この命が支配し、全存在を管理することにすぎません。信者が再生の時 に得た命は、神の働きの始まりであり、その後のこの働きの継続と完成もこの命 以外にはあり得ません。 再生された人だけが、主がいかに自分を救ってくださったかを証しすることがで きます。再生の経験のない人は、この働きをすることができません。勝利を得る こと、聖別されること、聖霊に満たされること、キリストが内側で主権をつかさ どることなども、恵みにあずかって実際に経験した人だけが、これらの証しをす ることができるのです。証しをしている時でさえ、やはり聖霊の働きに信頼する 必要があります。もし聖霊の働きがなければ、主の油塗りもあり得ません。霊的 な働きの中で、わたしたちは絶対的に信頼する必要があります。もし主の霊が働 かれるのでなければ、人が働こうと思っても働けないのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第38巻「一般的なメッセージ(二)」(1998年版)メッセー ジ第39編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。