神のために働くことは、神がわたしたちの中で働いてくださることに基づく ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ1:11 というのは、兄弟たちよ、わたしはあなたがたに知らせましょう。 わたしによって宣べ伝えられた福音は、人によるものではないのです。(12節)な ぜなら、わたしはそれを、人から受けたのでもなく教えられたのでもなく、ただ イエス・キリストによる啓示を通して受けたからです。(15節)ところが、……神 が、(16節)御子を喜んでわたしの中に啓示し、異邦人の間に、御子を福音として 宣べ伝えるようにされた時、直ちにわたしは血肉と相談もせず。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パウロはガラテヤ人への手紙の中で、彼が宣べ伝えている御言は啓示によったと 告げています。それは、神が「御子を喜んでわたしの中に啓示して」くださった とあるからです。啓示を通して、パウロはキリストに対する真の霊的認識を持っ たので、血肉に相談もせず、啓示を通して認識したキリストを異邦人に宣べ伝え ることができたのです。パウロが働くことができたのは、まず自分の内側で神に 働いていただき、神を自分の中に造り込んでいただいたからです。神は御子をそ の霊を通してパウロの内側に啓示されました。パウロは霊の実際にしたがってキ リストを認識したのであって、それは肉にしたがって認識したキリストではあり ませんでした(2コリント5:16)。パウロはすでにキリストを得ていましたから、 キリストを人に宣べ伝えることができました。パウロは、客観的なキリストを宣 べ伝えたのではなく、また触れることのできないキリストを宣べ伝えたのでもな く、身をもって経験したキリストを宣べ伝えたのです。パウロの中で、キリスト は自分自身と同じように実際的でした。キリストは彼の中におり、彼もキリスト の中にいました。キリストは彼の考えの中にあり、言葉の中にあり、行動の中に ありました。キリストはパウロの内側で主であり、パウロは外側でキリストの表 現でした。あなたは、彼はパウロであったと言ってもよいですし、彼の中にはキ リストが見られ、彼はキリストであったと言ってもよいのです。なぜなら、確か に彼はキリストによって占有されていたからです(ピリピ3:12、ダービーの新訳)。 パウロの宣べ伝えは、彼の持っているものに基づいていました。すなわち、彼が キリストを認識していた量だけ、キリストを人に宣べ伝えることができたのです。 ですから、神の同労者であるとは、あなたが神のために働くのではなく、まず神 にキリストをあなたの内側に造り込んでいただくことです。それから、あなたは 出て行って、啓示を通して認識したキリストを人に語ります。働きはやはり神ご 自身のものです。そして人は神のなさったことを語るだけです。ですから、パウ ロはコリントの聖徒たちに、「あなたがたは、主にあるわたしの働きではないで しょうか?」(1コリント9:1)と言いました。これは、あなたがたが主にあるよ うになったのは、わたしが認識したキリストをあなたがたに宣べ伝え、あなたが たが受け入れたからである、という意味です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第38巻「一般的なメッセージ(二)」(1998年版)メッセー ジ第39編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。