信じて受け入れることは神のみわざを行なうことである(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:38 さて一行が進んで行った時、イエスはある村に入られた。するとマ ルタという女が、彼を家に迎え入れた。(39節)彼女にはマリヤという妹がいたが、 マリヤは主の足もとに座って、主の言に聞き入っていた。(40節)ところがマルタ は、あれこれともてなしすることで取り乱していた。彼女は近づいて来て言った。 「主よ、わたしの妹がわたしひとりにもてなしをさせているのに、何とも思われ ないのですか? わたしの手伝いをするよう、妹におっしゃってください」。 (41節)主は彼女に答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くの事で 思い煩い、心配している。(42節)しかし、無くてはならないものは、ただ一つで ある。マリヤはその良い分を選んだのだ。それを、彼女から取り上げてはならな い。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちはマルタとマリヤの物語を見てみましょう。これは、ヨハネによる福 音書第6章29節によれば、神のわざはキリストを信じ受けることであることのと ても良い例です。マルタはとても忙しく主に仕えていました。彼女はあまりにも 忙しく働きすぎたので、やり切れなくなって、妹が手伝いをするよう主に言って もらいたかったのです。もしかしたら、彼女は心の中で次のように思っていたの かもしれません、「自分は主のために多くの力を費やして、代価を払い、苦労し ている。これこそ主に仕え、主のために働いたと言える」。ところが、主は彼女 をほめないどころか、かえって次のように言われました、「マルタよ、マルタよ、 あなたは多くの事で思い煩い、心配している。しかし、無くてはならないものは、 ただ一つである。マリヤはその良い分を選んだのだ。それを、彼女から取り上げ てはならない」(ルカ10:41-42)。 それでは、マリヤは何をしたのでしょうか? 聖書では、「マリヤは主の足もと に座って、主の言に聞き入っていた」とあります。座って主の言葉に聞き入って いたのですから、何もしていません。彼女は姉のように忙しくしていたのではな く、静かに主の足もとに座って、そこで主と親しんでいました。主の言葉に聞き 入っていたとは、主の言葉を受け入れていたということです。主の言葉は霊であ り、命です。主は言葉によって命を人に分け与えられます。彼女は主に働く機会 を与え、言葉を通して命を分与する機会を主ご自身に与えました。マリヤはそこ に座って、主の言葉を受け入れる器となっていました。マリヤではなく、主が働 いておられたのです。マリヤという人が、主の働きであり、主の働きの対象です。 それゆえに、エペソ人への手紙第2章10節は言います、「わたしたちは神の傑作 であり、良い働きのために、キリスト・イエスの中で創造されたからです」。主 に感謝します。わたしたちは人の働きではなく、神の働きであり、神の働きは絶 対に信頼するに足るものです。ああ、何という栄光な事実でしょう。わたしたち は神の働きです! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第38巻「一般的なメッセージ(二)」(1998年版)メッセー ジ第39編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。