すべての信者は奉仕者である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:7 わたしは、神の力の活動によって、わたしに与えられた神の恵みの 賜物にしたがい、この福音の奉仕者となりました。(8節)すべての聖徒のうちで 最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計 りしれない豊富を、異邦人に福音として宣べ伝えるためであり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちの務めは、神の恵みの賜物にしたがっています。恵みはわたしたちの 享受のための神であるということは、恵みはわたしたちの命また命の供給として の神であることを意味します(1コリント15:10、2コリント12:9)。この命の供 給はわたしたちの内側で活動します。この活動する命によって、わたしたちはあ る能力を持ちます。それが賜物です。すべての聖徒たち(信者たち)はそのような 賜物、そのような能力を持っています。例えば、わたしの手は物をつかむ能力を 持っています。この能力は、わたしの体の中の血液から来ます。もし血液がわた しの手の中に流れ込まないなら、わたしの手は命に欠け、そのために機能するこ とができないでしょう。しかし、命の血液がわたしの手の中に流れ込むなら、血 液は手の中で活動し、それに機能する能力を与えるでしょう。キリストの肢体と して、わたしたちはみな、内側で活動してある能力を生み出す神の命を持ってい ます。この能力が賜物であり、わたしたちを奉仕者として、キリストを人に分け 与えさせます。 わたしたちの務めは、キリストの計り知れない豊富を福音として宣べ伝えること です。それは教理を提供したり、単に文字の御言葉を教えたりすることではあり ません。わたしたちの福音は、すべての豊富を持つ方です。そのような福音を宣 べ伝えることは、キリストの豊富を人に供給することです。 伝統的な観念に欺かれて、自分は奉仕者ではないと思ってはなりません。奉仕者 とは、仕える者にほかなりません。福音の奉仕者は、福音をもって人に仕えます。 若い姉妹がキリストを母親に供給するなら、彼女は新約の務めを遂行しているの です。すべての聖徒たちは大胆になって、自分は奉仕者であると言明しなければ なりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(二)」(2001年 版)メッセージ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。