神の団体的な救いを知る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ2:16 また十字架を通して、両者を一つからだの中で神に和解させるため でした。それによって敵意を殺してしまったのです。 コロサイ3:15 そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい。 このためにあなたがたも、一つからだの中に召されたのです。また感謝にあふれ ていなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ユダヤ人と異邦人は一つからだの中で和解させられました。この一つからだ、す なわち教会は、前の節で述べられた一人の新しい人です。この一つのからだの中 で、ユダヤ人と異邦人の両者は、十字架を通して神に和解させられました。わた したち信者は、ユダヤ人も異邦人も、キリストのからだ「のために」和解させら れただけでなく、キリストのからだ「の中で」も和解させられました。これは何 という啓示でしょう! わたしたちは神に和解させられました。わたしたちはキ リストのからだの中で救われました。からだは、わたしたちが神に和解させられ た道具、手段です。わたしたちは一つからだの中で召されてさえいます。 このような団体的な観念は、新約に広く行き渡っています。しかしながら、わた したちの観念は、自分は個人として神に和解させられたというものです。しかし 神の目に、わたしたちは一つからだの中で召されたのであり、からだの中で彼に 和解させられたのです。イスラエルの子たちのエジプトからの脱出が、このこと の明確な絵です。エジプトでイスラエルの子たちは、ある意味で神から遠く離れ ていました。彼らはエジプトから連れ出され、共に紅海を通過した後、シナイ山 で、個人としてではなく、一つの集団として神に和解させられました。それは、 わたしたちが一つからだの中で神に和解させられることの予表でした。わたした ちは今日、このような団体的な観念を持つ必要があります。自分は個人的に救わ れたと考えないでください。その反対に、わたしたちはみな一つからだの中で、 共に救われ、神に和解させられたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人の手紙(二)」(2001年版) メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。