からだの中の交わりが必要である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:15 むしろ、愛の中で真理を固く保って、わたしたちはすべての事で、 彼すなわちかしらであるキリストの中へと成長し込むのです。(16節)この方か ら、からだ全体は、その豊富な供給のあらゆる節々を通して、またそれぞれの部 分の度量に応じた活動を通して、組み合わされ結合され、からだを成長させ、愛 の中でそれ自身を建て上げるに至るのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― からだを見ている人は、自然に交わりの必要性を見ます。彼らは単独で行動でき ないことを自然に見ます。交わりは外側の行き来でなく、からだの命の自然の結 果です。交わりについての神の子供たちの間にある一般的な観念は、時間のある 時に兄弟姉妹を訪問して、少し話し合ってくることです。たいていの人たちは、 これが交わりであると思っています。しかし、交わりの真の意味は、単独で歩む ことができないことを知り、すべての事柄を他の肢体と共に、からだ全体と共に 行なう必要があるのを知ることです。わたしたちは全教会のすべての兄弟姉妹と 集まることができなくても、二人、三人の兄弟たちが共に集まり、からだの原則 にしたがって働くことができます。わたしたちは祈る時に交わりの原則を学ばな ければなりません。わたしたちは困難に遭遇する時に交わることを学ばなければ なりません。またわたしたちは神のみこころを尋ね求める時、将来について明ら かでない時、神の言葉を理解できない時、交わりをすることを学ばなければなり ません。 交わりは、わたしは一人で祈ることができないという意味です。わたしは二人、 三人の兄弟たちを見いだして、物事を扱わなければなりません。それはわたしが 一人で神のみこころを理解しないという意味であり、二人、三人の兄弟たちと共 に理解しようとするのです。それはわたしが一人では将来について明らかでない ので、二人、三人の兄弟姉妹と将来の事を交わるという意味です。それはわたし が一人では神の言葉を理解できないので、二人、三人の兄弟姉妹と神の言葉を学 ぶという意味です。交わりは、自分の足りなさを知り、自分の不十分であること を知り、わたしたちがからだを必要とするのを知ることです。交わりは、自分の 限界を知り、自分では間違う可能性があることを知ることです。それは主の御前 で霊的識別力を持つ人たちから助けを受けることです。わたしは一人では歩むこ とができません。わたしは他の兄弟姉妹の助けを必要とします。キリストのから だは命の事柄です。この命には感覚があります。この感覚は、交わりなしに進ん で行くことができないということを告げるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第36編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。