命は愛を生み出す ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ3:11 あなたがたが初めから聞いている知らせはこれです。すなわち、 わたしたちは互いに愛し合うべきです。(14節)わたしたちは死から命へと移って いることを知っています。なぜなら、わたしたちは兄弟たちを愛しているからで す。愛さない者は死の中に住んでいます。 1コリント12:25 それは体に分裂がなく、各肢体が互いに同じ顧みを持つため です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 死から命へと移っている者はみな互いに愛し合います。からだの肢体とされた者 はみな互いに愛し合います。この愛は命によって生み出され、自然に流れるもの です。真に神から生まれた者はみな神の命を持っています。神によって救われた 者は自然に仲間の肢体を愛します。他の人を愛するように言われても言われなく ても、兄弟たちを愛する感覚を持つでしょう。確かに、わたしたちはしばしば他 の人たちに兄弟たちを愛するように思い起こさせます。しかし、これらを思い起 こさせるのは、彼らにないものを供給するわけではありません。それは彼らが持 っているもののゆえに彼らを励ますのです。愛があればあり、なければないので す。神の民の一人に出会うと、自然に彼を愛します。わたしたちは説明すること ができませんが、内側にはそのような感覚があります。内側にはそのような愛が あります。 ある兄弟に一人息子がいました。ある人が彼に尋ねました、「あなたは父親なの で、息子を愛していますか?」。彼は答えました、「父親になる一週間前に、ど のように息子を愛するのか考えていました。しかし、息子が生まれた瞬間、息子 を見ると自然にわたしの心は息子のもとに行き、彼を愛していました」。愛は内 側の感覚です。それは外側から教えられるものではなく、内側から生み出される ものです。主の血によって贖われ、また主の命を受け、キリストのからだの中へ とバプテスマされた神の子供たちはすべて、自然に仲間の肢体を愛します。多く の時、わたしたちは真に主に属している者に出会います。その人が遠い所にいる とか、同じ都市にいるとかは問題ではありません。あるいは教養があるとか、教 養がないとかは問題ではありません。国籍がどうであるか、仕事がどうであるか は問題ではありません。クリスチャンであることがわかった瞬間、自然に彼を愛 します。愛は命の感覚です。わたしたちはからだの中にいる限り、自然にこのよ うな感覚を持ちます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第36編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。