神聖な命の感覚(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ1:4 彼の中に命があった。この命は人の光であった。(12節)しかし、す べて彼を受け入れた者、すなわち、御名の中へと信じる者に、彼は神の子供たち となる権威を与えられた。(13節)彼らは血によってではなく、肉の意志によって でもなく、人の意志によってでもなく、ただ神によって生まれたのである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― あらゆる命には感覚があります。そして神の命にはなおさら感覚があります。命 というものは、わたしたちから見れば捕らえにくいもので、とても抽象的なもの です。しかし感覚は、わたしたちが感じることのできる比較的具体的なものです。 わたしたちには命を取り出して見せる方法はありませんが、命の感覚によって命 を認識することはできます。具体的に一つの命を人の前に置いて、これが命です と言って見せることは難しいです。だれもわたしたちに命を取り出して見せるこ とはできません。しかし、わたしたちはこの命の感覚によって命を認識すること ができます。主に感謝と賛美をささげます。彼がわたしたちに与えられた命は、 感覚のある命です。そしてその感覚によって命を知ることができます。ですから、 あなたはこの命を取り出して自分で見ることも、他の人に見せることもできない のですが、あなたの内側には新しい感覚があるので、あなたは新しい命を持って いることを知ることができます。 一人の人が主を受け入れるなら、わたしたちは彼が救われたと言うだけでなく、 彼は再生されたとも言います。その人は神から生まれ、神から一つの新しい命を 得ました。しかし、このことを的確に言うのはとても難しいことです。彼はどの ようにして自分に神の命があると知ることができるのでしょうか? 他の人はど のようにして、彼に神の命があると知ることができるのでしょうか? 教会はど のようにして、彼に神の命があると知ることができるのでしょうか? 神の命の 存在は、命の感覚によって証明されます。もし神の命が彼の中にあるなら、神の 命の感覚も必ず彼の中にあります。命の感覚とは何でしょうか? 一人のクリス チャンがうっかり過ちを犯すと、彼は苦しいと感じます。これを命の感覚と言い ます。罪を犯すと不安を覚えるようになります。罪を犯すと、神と隔たりがある のを覚えます。罪を犯すと、内側に喜びがなくなります。これらはみな命の感覚 です。一人の人がもし神の命を得るなら、神の命は罪を憎むものですから、彼は 罪に対して必ず感覚を持つようになります。この命の感覚が、彼に命があること を証明します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第35編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。