信仰は神の賜物である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ2:8 なぜなら、あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通して であって、これは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物であるから です。(9節)それは行ないによるのではありません。だれも誇ることがないため です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信仰は、わたしたち自身から出たものではありません。わたしたちは信じていま すが、わたしたちが信じるその信仰は、わたしたちに起源があるのではありませ ん。わたしたち自身の中には何の信仰もありません。しかしながら、わたしたち が悔い改めて、主イエスの御名の中で神に告白をする時、信じる能力がわたした ちの中に入れられました。わたしたちは救われる前、全く信じることができませ んでした。他の人は、見たこともないイエス・キリストをどうして信じることが できるのかと問うかもしれません。わたしたちは彼を見たことはありませんが、 彼を信じざるを得ないのです。この信仰は、わたしたち自身から出たものではあ りません。それは、わたしたちの中に伝達された恵みの一部分です。 信仰は、実はキリストの一面です。こういうわけで、聖書はキリストの信仰と言 っているのです(ローマ3:22)。唯一の信仰はキリストご自身であるので、わたし たち彼を信じる者たちは共通の信仰を持っています。あなたはある種の信仰を持 ち、わたしは別の信仰を持つのではありません。キリストがあなたに来られた時、 あなたは信じました。彼がわたしに来られた時、わたしは信じました。キリスト が人に来られる時はいつも、その人は彼を信じます。これは、信仰がわたしたち からでなくキリストから出たものであることをさらに示すものです。 信仰は神の賜物であり、わたしたちの働きではないので、だれにも誇る権利はあ りません。その反対に、わたしたちはみなへりくだって言わなければなりません、 「主よ、もしあなたがわたしに来てくださらなかったなら、わたしは何の信仰も 持たなかったでしょう。しかし、あなたを賛美します。あなたは来てくださり、 わたしは信仰を受けました! 主よ、あなたがわたしの信仰です」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(一)」(2001年 版)メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。