教会には神性と人性の両方がある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:22 ……そして彼を万物の上にかしらとして教会に与えられました。 (23節)この教会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たして いる方の豊満です。 2:1 ところであなたがたは、自分の違犯と罪の中に死んでいて。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― エペソ人への手紙第2章1節は言います、「ところであなたがたは、自分の違犯 と罪の中に死んでいて」。文法によれば、「ところで」は、第1章の最後の文 章がまだ終わっていないことを示します。第1章の最後の節は、キリストのか らだである教会が、キリストによって彼の到達を通して生み出されたことを啓 示します。今や第2章は、教会が生み出されたその背景、すなわち死の領域を 啓示します。 第1章で使徒パウロは、多くの卓越した事を語っています。彼は、教会は昇天 したキリストのすばらしい伝達を通して存在するに至ることを述べています。 第1章でパウロは、キリストと彼の力について語ります。この力はキリストの 内に働いて、彼を死人の中から復活させ、天上で座らせて、すべてのものより はるかに高くし、万物を彼の足の下に服従させ、彼を万物の上にかしらとして 教会に与えました。この教会はキリストのからだであり、すべての中ですべて を満たしている方の豊満です。 しかし、すでに指摘したように、教会にはもう一つの面があります。キリスト の面があり、またわたしたち自身の面もあります。ですから、第2章1節でパウ ロは、「ところであなたがたは」と言います。教会には神性の面だけでなく、 人性の面もあります。第1章で、教会はわたしたちの中に伝達された神性の結 果であることを見ます。第2章で、教会は人性から出て来るのを見ます。第2章 1節の初めの「ところで」という接続詞は、教会のこれら二つの面を一つにす ることにおいて意義深いのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(一)」( 2001年版)メッセージ第20編から引用されています。いずれも日本福音書房か ら出版されています。