クリスチャンとは内側にキリストを持っている者である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ1:14 またわたしは、自分と同族で同年輩の多くの者にまさってユダヤ 教に進んでおり、わたしの先祖からの伝統に対しては、とりわけ熱心な者でした。 (15節)ところが、母の胎内にある時からわたしを選び分け、ご自身の恵みを通し てわたしを召してくださった神が、(16節)御子を喜んでわたしの中に啓示し、異 邦人の間に、御子を福音として宣べ伝えるようにされた時、直ちにわたしは血肉 と相談もせず。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書はこれらの対比を用いて、キリスト教が外側の規則、文字、儀式ではなく、 内側の命であるという事実をわたしたちにはっきりと見せています。なぜなら、 キリスト教は外側の宗教や、人の考え方の産物ではなく、それは内側の啓示で あって、命の宗教であるからです。 クリスチャンとは何でしょうか? クリスチャンとは、内側に主の命を持ってい る人です。ある人たちは、幼いころバプテスマを受けました。彼らは、日曜礼拝 に出席し、聖書を持っており、主の祈りも暗唱できれば、十戒も知っており、賛 美歌も歌えます。また他の人が祈る時にはアーメンと言います。そして聖書の物 語もよく知っています。それで彼らは、自分はもうクリスチャンであると思い込 んでいます。しかし、果たしてそうでしょうか? 聖書はここで、外側からのも のは間違いであり、外側で教えられ習ったものはみな「そうではない」と言って います。クリスチャンは内側からのものであり、クリスチャンの内側には主の命 があります。主イエスは言われました、「わたしが来たのは、羊が命を得、しかも 豊かに得るためである」(ヨハネ10:10)。クリスチャンは命とかかわりを持つ者で あって、外側からではなく内側からの者なのです。 命は主が与えてくださるものであり、命とは主ご自身です。人が命を得るのは、 主イエスを知ることによります。主イエスが神の御子であり、神のキリストであ ることを知る時、わたしたちは命を得ます。それは、神の啓示によって知ること ができるのです。パウロは先祖伝来の律法を厳格に守り、激しく教会を迫害する ことによって、熱心に神に仕えていると思っていました。しかしある日、主が彼 に現れた時、彼は悔い改めて救われました。彼はガラテヤ人への手紙第1章で、 自分が宣べ伝えている福音は人から受けたのでもなく教えられたのでもなく、 ただイエス・キリストによる啓示を通して受けたのであると、自ら証ししていま す。人に神からの啓示がなければ、人の熱心は無益です。彼が先祖からの言い伝 えを残さず守ったとしても、それで主の命が得られるのではありません。パウロ がクリスチャンになったのは、人からではなく、神が喜んでご自身の御子を彼の 内側に啓示されたからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセ ージ第34編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。