神の神聖な特質はわたしたちの人性の美徳の中で表現される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:18 あなたがたの心の目が照らされ、神の召しの望みがどんなもので あるかを、あなたがたが知るように。また聖徒たちの中にある神の嗣業の栄光が、 どんなに豊富であるかを知るように。 ガラテヤ5:22 しかし、その霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善良、 信実、(23節)柔和、自制です。このような事に反対する律法はありません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の栄光の豊富は、神の神聖な特質から成る多くのさまざまな項目であり、例え ば、光、命、力、愛、へりくだり、忍耐、義、聖などが、さまざまな程度におい て表現されたものです。栄光は神の表現ですから、栄光の豊富は神の表現の豊富 です。わたしが特に「神聖な」という言葉を使うのは、わたしたちが神聖なもの の形を持つように造られたからです。例えば、わたしたちには人のへりくだりがあ ります。しかしながら、人のへりくだりは真のへりくだりではありません。それ は本物のへりくだりの形にすぎません。真のへりくだりは神聖なへりくだりです。 人の愛についても同じです。人の愛も、真の神聖な愛の形です。ですから、神聖 な愛が人の愛の実際です。 あらゆる人には愛があります。しかし、この愛は長続きしません。あなたは両親 を愛しますが、あなたの愛は二、三日続くだけです。わたしたちはみな人を愛し ますが、わたしたちの愛は、はかない影のようなものです。ある日、兄弟は妻を 極みまで愛しますが、翌日は彼女を地獄に引きずり落とすかもしれません。その ような愛は、神の栄光の豊富の一部分ではありません。 多くのクリスチャンは、人性の美徳を神聖な美徳であると誤解しています。こう することで、彼らは重大な誤りを犯します。わたしたちは人性の美徳を発展させ る必要はありません。わたしたちは神聖な美徳に欠けているのです。神がキリス トの中でわたしたちの中へと造り込まれる時、わたしたちの愛、へりくだり、忍 耐、義は神聖なものになります。これらの神聖な美徳は、神の栄光の豊富です。 そのような美徳が、聖徒たちの中にある神の嗣業です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(一)」(2001年版) メッセージ第15編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。