神の愛を信じる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。 マタイ7:9 あるいは、あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石 を与える者がいるだろうか? (10節)また魚を求めるのに、蛇を与えるだろう か? (11節)あなたがたは悪い者であっても、自分の子供に良い贈り物を与える ことを知っているとすれば、天におられるあなたがたの父は、どれほど、彼を求 める者たちに、良いものを与えてくださることであろう! ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主はあなたに天の平安と喜びを与えようと待っておられます。問題は、あなたが 進んで主のくびきを負い、彼から学ぼうとするかどうかです。あなたは主の祝福 を受けておらず、神の祝福はあなたを通して他の人に流れません。それは、あな たが主の要求を喜んでいないからです。主は、「わたしのくびきは負いやすく、わ たしの荷は軽い」と言われました。兄弟姉妹よ、あなたはこの言葉を信じますか?  神を認識していない人は次のように言います、「あなたは厳しい方で、まかなかっ た所から刈り取り、散らさなかった所から集められます」。しかし、神を認識してい る者は、「主のくびきは負いやすく、主の荷は軽い」と言います。 しかし、不思議なことに、神の多くの子供たちは、神のみこころについて聞くの を恐れています。彼らは神の愛、知恵、力について聞く時に、ハレルヤを歌うこ とができます。ところが、彼らは神のみこころについて聞くのを恐れています。 わたしたちの主に何が起こったのでしょうか? 主は神のみこころを、ご自身の みこころと呼ばず、それを「あなたの目に喜ばしいこと」と呼びました。主にと って神のみこころはすべて喜ばしいことでした。兄弟姉妹よ、わたしたちは神の 愛を信じなければなりません。わたしたちは、神がわたしたちを愛してくださっ ていることを信じなければなりません。そうであれば、どんな事が起ころうと心 に安心があります。多くの時、わたしたちは魚を求めるのですが、神はわたした ちに蛇を与えられたかのようです。わたしたちはパンを求めますが、神はわたし たちに石を与えられたかのようです。わたしたちは魚を求めたのに、神はなぜわ たしたちに蛇を与えたのか、パンを求めたのに神はなぜわたしたちに石を与えた のかと問います。しかし、多くの時、わたしたちが魚を求めていると思っている 時に、実はわたしたちは蛇を求めているのです。神がわたしたちに与えるものは 蛇のように見えるかもしれませんが、それは実は魚なのです。多くの時、わたし たちがパンを求めていると思っている時に、実はわたしたちは石を求めているの です。神がわたしたちに与えるものは石のように見えるかもしれませんが、それ は実はパンなのです。わたしたちはしばしば、神は祈りに答えないと思います。 神はわたしたちを愛していないと思ったりします。実際は、神はわたしたちに最 上のものを与えておられるのです。わたしたちの神は決して間違うことがありま せん。問題は、多くの人が神の愛を信じないことです。わたしたちは覚えておく 必要があります。神がわたしたちに、心に傷を負わせ、困難が臨むのを許される のは、神がわたしたちを完成させたいからであり、わたしたちに最上のものを与 えたいからです。それは神がわたしたちを愛さないからではありません。もしす べての事柄が神の目に喜ばしいことと信じるなら、わたしたちは目に涙しながら も歌うことでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。