心の柔和なへりくだった方であるキリストの中で安息する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。(29節)わたしは心の柔和なへりくだ った者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、 あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。(30節)わたしのくびきは負いやすく、 わたしの荷は軽いからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主イエスは心が柔和であるだけでなく、心のへりくだった者でした。わたしたち はしばしば荒っぽい考えと肉の願望を持ちます。わたしたちはむなしい望みと無 益な考えを持ちます。しばしば兄弟姉妹と自分を比較し、彼らが自分の前面にい ることを喜ばしく感じません。わたしたちは彼らよりも高く大きくありたいので す。わたしたちの思いは高ぶりと高慢で満ちています。わたしたちの心はへりく だっていません。主イエスのようではありません。わたしたちの主は、心の柔和 なへりくだった者でした。主の目にはごう慢がなく、主は決して自分自身のため に何も得ることを求めません。主は進んで神からのすべてのものを受け入れます。 主は十分であると言うことができます。そして主は満足しておられます。これが、 心が柔和でへりくだっていることです。兄弟姉妹よ、あなたは神があなたに与え たものに満足していられますか? それとも絶えず求め続けて、もっと大きな事 を得ようとしていますか? あなたは神の備えに対して満足でしょうか? それ ともある物事、ある事柄について、あなたの道を主張しますか? 多くの人々は 大きな願望と野心を持っていますが、これらの事柄は神の目に取るに足らず、神 はそのような人を用いることができません。彼らの心はへりくだっていません。 彼らには安息がありません。彼らに安息がないのは、神が与えられたものに満足 していないからです。 わたしたちの主は柔和です。彼は神の御前で柔らかいのです。わたしたちの主イ エスは心がへりくだっています。彼は自分自身のために何も要求しません。柔和 な者だけが神によって導かれ、心のへりくだっている者だけが神を満足させるこ とができます。 主ご自身の経験は、わたしたちが彼のくびきを負い、彼から学んで、安息を見い ださなければならないことを見せています。わたしたちの最大の問題は、しばし ば神のみこころを卑しめることです。その結果、わたしたちは魂に安息を見いだ すことがなく、喜びがありません。すべて経験のある人たちは、献身にまさる喜 びはないことを証しすることができます。自分自身を主の御手に明け渡し、導き に服すること以上に大きな幸いはありません。もし自分の心に喜びがなく満足がな いなら、そのことの考えられる唯一の理由は、わたしたちが主のくびきを負って おらず、主から学んでいないからです。このような喜びは、より深い喜びであり、 その中でわたしたちは自分の持っているすべてが御父によって自分へと渡されま す。そしてわたしたちは次のように言うことができます、「そうです、御父よ、あ なたが決められた事は何であれ最上です」。これが、主の経験からわたしたちが見る 事です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。