柔和で心のへりくだったキリストの中で安息する(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 「すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。(29節)わたしは心の柔和なへりくだ った者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、 あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。(30節)わたしのくびきは負いやすく、 わたしの荷は軽いからである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 「すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうすれば、わたし はあなたがたに安息を与える」。兄弟姉妹よ、あなたは重荷を負っていると感じ ますか? あなたは日夜もがいていますか? あなたは心に苦痛を感じていま せんか? 主はあなたに次のように語っておられます、「来なさい。わたしに来な さい。そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える」。あなたには多くの心配 事があるでしょうか? あなたは担いきれない多くの重荷を負っているでしょう か? あなたは多くの失敗で苦しんでいるでしょうか? 主は、ご自身に来るよ うにと言われます。そうすればあなたに安息を与えると言われます。 どのように主はわたしたちに安息を与えられるのでしょうか? 彼はご自身をわ たしたちの前に置いて、わたしたちが彼の模範を見ることができるようにされま した。彼は言われます、「わたしは心の柔和なへりくだった者である」。柔和とは 何でしょうか? かつて一人の兄弟が次のように柔和について例証しました、「柔 和とは、蒸気船の両側の亜麻製の緩衝材のようなものです。船が埠頭に近づく時、 船の硬い板と埠頭の硬い柱との間に何もなければ、どちらかが壊れるでしょう。 しかし、亜麻製の緩衝材がその間に置かれるなら、両方とも緩衝材に当たるだけ で、壊れることはありません」。兄弟姉妹よ、これが柔和です。両方とも硬ければ、 どちらも触れることができません。しかし、柔らかい物がそれらの間に置かれる なら、両方とも保護されます。他の人が硬くても、もしあなたが柔軟であれば、 あなたはいかなる打撃にも耐えることができます。彼らはどれだけでも当たるこ とができます。主は「わたしは心の柔和な者である」と言われました。これは、 彼がいかなる打撃にも耐えることができるという意味です。兄弟姉妹よ、あなた は柔和でしょうか? あなたはしばしば何かを持ちたいと思うと、それを得るま では放棄しません。あなたが、自分は欲しいものを得たいと主張しだすと、だれ もあなたを変えることができません。神でさえあなたを変えることができません。 これは柔和ではありません。柔和であるとは何でしょうか? 柔和であるとは、 変わることができるということです。それは、神があなたに受け入れて欲しいこ とを、あなたが受け入れることを意味します。それは、あなたがそれを持つ時に 満足しますが、持たない時にも同じように満足していることを意味します。あな たはそれを持つ時に、ハレルヤを歌い、主を賛美します。それを持たない時にも、 ハレルヤを歌い、主を賛美することができます。柔和であるとは、みこころにし たがって神があなたの決定を変えられても、あなたが柔軟であることです。柔和 な人は、神が変える時に変わり、神が向きを変える時に変わるのです。そして、 何であれ神がなさりたいことに同意します。このような人はだれであれ安息を見 いだすでしょう。  (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。