困難のただ中でわたしたちの父をほめたたえる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:25 その時、イエスは答えて言われた、「父よ、天と地の主よ、あな たをほめたたえます。あなたはこれらの事柄を知恵や学識のある者から隠して、 幼子たちに啓示してくださいました。(26節)そうです、父よ、このようなことは、 あなたの目に喜ばしいことであったからです」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) マタイによる福音書第11章は、地上での主の経験と態度について語っています。 その章全体は、非常に心の痛む事柄を記載しています。まずバプテスマのヨハネ が彼の弟子たちを遣わして主イエスに尋ねさせました、「来たるべき方はあなた ですか、それとも、ほかのだれかを待つべきでしょうか?」(3節)。この意味は、 「あなたがメシヤでしょうか? あなたがキリストなのでしょうか?」というこ とです。イエスの先駆者は今、イエスが来たるべき方であるのかを疑っています!  これは人から見れば、まったく失望させる言葉です。 バプテスマのヨハネが来て、食べることも飲むこともしないと、人々は「彼は悪 鬼にとりつかれている」と言いました。人の子は来られて、食べたり飲んだりされ ました。彼は人々の間に来られて、人と交わり、人を救うことを願われました。 だれも主に対して言えるはずがないのに、彼らはイエスが食いしんぼうで大酒飲 みであると言いました(19節)。彼らは常に主に対して言うべき批判を見つけるこ とができました。主イエスは食いしんぼうで大酒飲みであると批判されました。 彼はカペナウム、ベッサイダ、コラジンで多くの奇跡を行なわれました。しかし、 最終的に、カペナウムの人々は彼を受け入れようとせず、コラジンとベッサイダ の人々は彼を拒否しました(20-24節)。マタイによる福音書第11章のすべての事 柄において、主は疑われ、ののしられ、拒否された方として示されています。 兄弟姉妹よ、もしあなたの生活において、あなたの働きにおいて、あなたの知り 合いとの間で、このような困難に次から次へと遭遇するとしたら、あなたはどう でしょうか? きっとあなたの心は傷つき、落胆するでしょう。すべての事柄は 終わりであると感じるでしょう。しかし、わたしたちの主はそうではありません でした。25節の「その時」とは、まさにそのような時という意味です。このよう な環境の下で、疑われ、ののしられ、拒否されたまさにそのような時に、わたし たちの主は次のように言うことができました、「父よ、天と地の主よ、あなたを ほめたたえます」。彼の心には何の苦みも、憎しみも、恨みも、怒りもなく、 「父よ、天と地の主よ、あなたをほめたたえます」と言うことができたのです。 主をほめたたえる時は、わたしたちが何かを得る時ではありません。主をほめた たえる時は、働きが成功し、多くの人々によって歓迎され賞賛される時ではあり ません。理由もないのに疑われ、ののしられ、拒否されている時、わたしたちは 主をほめたたえるべきです。兄弟姉妹よ、あなたはそのような時に主をほめたた えることができるでしょうか? (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。