神は人を必要とする(2)

――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
使徒2:22 イスラエルの人たちよ、これらの言を聞きなさい。ナザレ人イエスは、
神があなたがたの中で、彼を通して行なわれた力あるわざと不思議としるしによ
り、神によってあなたがたに証明された人です。それは、あなたがた自身が知っ
ているとおりです。(23節)神の定められた計画と予知によって引き渡されたこの
人を、あなたがたは不法の者たちの手によって、十字架に釘づけて殺してしまっ
たのです。(36節)こういうわけで、イスラエルの全家は、確かに知っておきなさ
い。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたの
です。

―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
モーセの物語を考えてみてください。神はイスラエルの子たちを、パロの手から
救い出すことを意図されました。しかし、神はまずモーセを得なければなりませ
んでした。モーセがいなければ、神にはイスラエル人を救う方法がありませんで
した。確かに、神は全能であり、大能の方です。しかし、もし神にモーセがいな
ければ、神がイスラエル人を救い出すことは不可能であったでしょう。もしモー
セが進んで神に用いられようとしなければ、神はだれかが起こされるのを待たな
ければなりませんでした。そうしてはじめて、その人を用いてイスラエル人を救
い出すことができるのです。モーセがイスラエルの子たちを救い出すことにおい
て、わたしたちはやはり、神が人の協力を必要とされることを見ます。ここの原
則はとても明白です。

主イエスが来られたことにおいて、神と人との協力の明確な絵をわたしたちは持
ちます。わたしたちの主イエスとはどなたでしょうか? 彼は、神が人と成られ
た方です。神の標準に達することのできた人は、宇宙に一人もいませんでした。
ですから、神ご自身が人と成られました。主イエスは、人を超えた方でした。し
かしながら、地上での彼の生涯を通じて、彼は常に人としての立場を維持されま
した。彼は神であり、また神の子ですが、常に人として物事を行ないました。彼
は試みを受けた時、サタンは彼に神の子として物事を行なうようにと、一度なら
ず告げました。サタンは彼に、人の立場を離れて神の立場に立つようそそのかそ
うとしました。しかし、主イエスは次のように答えられました、「人はパンだけ
で生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きる」(マタイ4:4)。
彼は、自分が人として地上にいることを意味されたのです。主が地上に来られた
ことのおもな目的は、人と成ることでした。彼は、「人の子が来たのは、失われ
たものを尋ね出して救うためである」と言われました(ルカ19:10)。ナタナエル
は主の所にやって来て、「ラビ、あなたは神の御子です。あなたはイスラエルの
王です」と言いました。主は答えて言われました、「天が開け、神の御使いたち
が人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」(ヨハネ1:49-51)。
彼はいつも、人の子が何々をすると言われました。これが示していることは、主
イエスは地上におられた時、いつも人の地位に立ったということです。神は人を
通してのみ、ご自身の働きを達成することができるのです。人が神の要求を満た
すことができなかった時、神がご自身の愛する御子を地上に遣わし、人と成らせ、
ご自身の要求を満たし、ご自身の働きを達成されました。

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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー
ジ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。