わたしたちは神の嗣業である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:18 あなたがたの心の目が照らされ、……また聖徒たちの中にある神の 嗣業の栄光が、どんなに豊富であるかを知るように。 2コリント4:7 しかし、わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちはすでに、神の享受のために彼の嗣業として定められましたが、神の 嗣業として生きているかどうかを自らに問う必要があります。わたしたちは、神 の嗣業であることについての客観的な教えにとどまってはなりません。何年も前、 わたしたちは神の嗣業であると教えられ、わたしはこれを聞いてとても幸いでし た。しかしながら結局、自分は土くれ以外の何ものでもないことを発見しました。 土くれが神の嗣業となり得るなど、おかしなことのように思われました。わたし たち自身では、確かに神の嗣業となる価値はありません。 多くの経験と新約聖書の研究の後、わたしたちはまだ神の嗣業となる過程にいる ことを、わたしは学びました。わたしたちが嗣業へと構成し込まれるのは、神が わたしたちの中に造り込まれることによってです。神は今日依然としてご自身を わたしたちの中に造り込んでおられます。わたしたちの大多数は、一部が土くれ で、一部が金です。金の部分が神の嗣業です。神に感謝します。神の嗣業として 定められる過程が進行する時、わたしたちの中の金は増し加わっていき、土くれ は減少していきます。この過程が完了した時、わたしたちは客観的にだけでなく、 経験的にも完全に神の嗣業となります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(一)」(2001年 版)メッセージ第11編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。