彼の血を通しての贖い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ1:7 その愛する者の中で、わたしたちは彼の血を通しての贖い、すなわ ち違犯の赦しを受けています。これは、神の恵みの豊富によります。 ローマ3:24 価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、 義とされるからです。(26節)それは現在の時に彼の義を明らかに示すためです。 こうして神が義であり、また彼はイエスの信仰の者を義とされるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神はわたしたちを喜ばれ、わたしたちを彼の恵みの対象とされましたが、わたし たちはなおも贖いを必要とします。なぜなら、神は義なる神であるからです。わ たしたちを喜ばれる御父は義であって、不義、悪、違犯を容認することはできま せん。そのようなものは彼の義に対する冒とくです。神は愛であるだけでなく、 義でもあります。何であれ不義なものは、彼を不快にします。こういうわけで、 神を喜ばせるために、愛する御子(イエス・キリスト)は十字架に行って、神の選 ばれた者たちのために完全な贖いを成就しなければならなかったのです。 血を通しての御子の贖いは、わたしたちの違犯の赦しです。贖いは、キリストが わたしたちの違犯のために成就されたものです。赦しは、キリストが成就された ものを、わたしたちの違犯に適用することです。贖いは十字架上で成就されまし たが、赦しは、わたしたちがキリストを信じた瞬間に適用されます。贖いと赦し は、実は一つの事の両端です。贖いが十字架上で成就されたのは、キリストが血 を流された時でしたが、それはその時にわたしたちに適用されたのではありませ んでした。その適用が起こったのは、わたしたちがキリストを信じて、義なる神 に告白した時でした。まさにその時、神の霊は、キリストが十字架上で成就され た贖いをわたしたちに適用したのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(一)」(2001年 版)メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。