死を通して実を結ぶ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに言う。一粒の麦が地に落ちて 死ななければ、それは一粒のままである。しかし、それが死んだなら、多くの実 を結ぶ。(25節)自分の魂の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の魂の命を 憎む者は、それを保って永遠の命に至る。(26節)だれでもわたしに仕えるなら、 わたしについて来なさい。そうすれば、わたしのいる所に、わたしに仕える者も いるのである。だれでもわたしに仕えるなら、父はその人を尊ばれる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編の内の第2編) 一粒の種は地に落ちて死ななければならず、そうしてはじめて多くの実を結ぶこ とができます。一粒の麦は、地に落ちて死ぬ前は外側の殻があります。この殻は、 種が傷を受けることから保護しますが、種が多くの麦粒を生み出すのを妨げても います。もし外側の殻が砕かれなければ、内側の命は解き放されません。一粒の 麦が地に置かれて、水と土が有機的な作用を及ぼすと、しばらくすれば殻は砕か れ、腐り、内側の命が解き放されます。主は、地に落ちて死なれた一粒の麦です。 この一粒の麦が死なれた時、それは多くの麦粒を生み出しました。死から命へと 至ること、これが主の道であり、これがわたしたちの道です。死を通して実を結 ぶこと、これが主の道であり、これがわたしたちの道です。このゆえに、実を結 ぶ原則とは、御言葉を宣べ伝えることにあるのではなく、死にあります。人が地 に落ちて死んでいるかどうかは、わたしたちがその人に触れさえすればすぐにわ かります。 人が死んでいるかどうかを知るためには、殻がまだ残っているかどうかを見さえ すればよいのです。わたしたちのかたくなさの多くは、天然のかたくなさです。 また、わたしたちの柔和さの多くも、天然の柔和さです。かたくなさであれ柔和 さであれ、それが殻である限り、命の流れ出を妨げ、人が内側の命に触れられな いようにします。十字架の働きだけが、わたしたちから外側の殻を取り除きます。 砕かれていない人に触れることは、とても困難です。あなたがそのような人に一 時間話しても、あなたと彼との間には大きな隔たりがあることを、あなたは依然 として感じます。彼には殻があります。しかし、神によって打撃を被った人、神 によって打たれた人、神によって砕かれた人は、彼の天然的な魂の部分が砕かれ ています。他の人たちが彼に触れる時、彼らは命に触れます。地に落ちて死んだ 人だけが、実を結びます! 死を経過した人だけが、主の御前で実を結びます。 何百何千という人があなたについて行くかもしれませんが、あなたには依然とし て主の御前に実がないかもしれません。実を結ぶ原則は、死んで多くの麦粒を生 み出すことです。一粒の種が死を経過していなければ、実を結ぶことはありませ ん。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。