過去の勝利を忘れる:エリコとアイの例 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:12 わたしはすでに獲得したとか、すでに完成されているとか言うので はありません。わたしは、それを捕らえようと追い求めているのですが、それは わたしが、キリスト・イエスによって捕らえられているからです。(13節)兄弟た ちよ、わたしはまだ自分自身、捕らえたとは思っていません。ただ一つの事、す なわち、後ろにあるものを忘れて、前にあるものに向かって体を伸ばしつつ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― エリコでの勝利は決してアイに適用することができません。アイは非常に小さく、 また勝利を得たエリコは非常に大きかったとはいえ、わたしたちは過去の経験に よってアイを攻撃するなら、失敗します。これは、今日の霊的困難に勝つために 過去の勝利を適用することはできないという意味です。過去は歴史となりました。 そして新しい霊的困難を取り扱うには新しい力が必要なのです。神がわたしたち の前に新しい困難を置かれたのは、わたしたちに新しい必要を感じさせるためで す。わたしたちは一度で完全な勝利を得ることを決して期待することはできませ ん。わたしたちの目は、神の御前で開かれなければなりません。絶えず満たされ る唯一の道は、絶えず十字架の働きにあずかることであるのを、わたしたちは認 識しなければなりません。聖霊がわたしたちの中で働き続けるのでなければ、わ たしたちは継続的な勝利を持つことはできません。何かの試練や困難がわたした ちの前に置かれる時、過去の歴史や経験はわたしたちの助けにはなりません。わ たしたちは前進するために必ず新しい力が必要なのです。 どうか覚えてください。環境の中で主が案配された事はすべて、わたしたちの内 に求める心を起こさせるためであり、過去の経験によって打ち勝つことができな いことをわたしたちに認識させたいのです。過去の勝利は変わりませんが、過去 の方法で新しい困難に打ち勝とうとしても決して効果はありません。多くの人は 過去の勝利を見て、現在どうして勝利することができないのかと不思議に思いま す。兄弟姉妹よ、わたしたちは認識しなければなりませんが、神はわたしたちに 昨日のマナを食べてほしくないのです。新しい困難には新しい必要が伴うのであ り、決して以前のものでは間に合いません。兄弟姉妹よ、わたしたちは主を新し く認識することなしに、主の新しいビジョンなしに、前進することはできません。 いつでも主がわたしたちを終わらせる時、また「わたしにはできません!」と叫 ばせる時、わたしたちに進歩が始まるのです。その時、神はとても容易にわたし たちの内側に神に対する願いを起こすことができます。 神に感謝します。わたしたちが持っているすべては、神の働きの結果です。神を 求める心でさえ神から来るのです。もしそれがわたしたち自身からであるなら、 わたしたちは神を尋ね求める前にどれだけ待たなければならないかわかりません。 もちろん、一つの条件があります。わたしたちは自分の弱さや無能と共に肉の妨 げや高慢に気付かなければなりません。もし自分自身に頼り続け、自分は富んで いると言い張り、エリコの勝利が忘れられないなら、たとえ神が望んだとしても、 神がわたしたちに追い求める心を与えることは不可能です。もし過去の勝利が忘 れられないなら、決して進歩はないでしょう。わたしたちの最初の経験をもって 勝利できると思うなら、すでに敗北しているのです。過去の勝利は決して現在の 力となり得ません。わたしたちは覚えておくべきですが、神がわたしたちに困難 を与えるのは、わたしたちの内側をさらに深く掘るためであり、それは神ご自身 でわたしたちをさらに多く満たすためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。