神は飢えている者を満たす ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:53 彼は、飢えている者を良いもので満たし、富んでいる者をむなしく帰 されました。 詩107:9 まことに主はかわいた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たさ れた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の豊富を経験するために必要な条件は何でしょうか? 言い換えれば、神の祝 福を受けるための必要な条件、あるいは聖霊の働かれるための必要な条件は何で しょうか? これはわたしたちが見なければならない事柄です。それはわたした ちが満たすべき条件です。もしこの条件を満たさなければ、主から何かを受ける ことを期待することはできません。この必要な条件とは、神の御前で「空っぽに なる」ことです。もし絶えず主の豊富で満たされたいなら、わたしたちは絶えず 空っぽでなければなりません。空っぽになる経験は、継続して深まっていく経験 です。ですから、自分自身は完全に空っぽであると言うことはできませんし、こ れ以上空っぽにすることができないと言うこともできません。兄弟姉妹よ、わた したちは毎日、毎月、毎年、空っぽであることが必要です。今は空っぽであるか もしれませんが、しばらくの後、さらに空っぽにする働きが必要です。わたした ちは一度空っぽになったので、いつまでも空っぽであると思うべきではありませ ん。また、一度満たされたので、いつまでも満たされていると思うべきでもあり ません。わたしたちは、自分自身について継続して深まっていく認識を持つべき ですし、また主の豊富について継続して深まっていく認識を持つべきです。 ルカによる福音書第1章53節は、神の恵みが一種類の人、すなわち飢えている者 に用意されていることを見せています。もしある人が集会に来るのは、見るため であり、聞くためであるなら、その人は何も見ないし、何も聞かないでしょう。 ただ聖書の知識を得るためであれば、彼の真の霊的な問題は解決されないでしょ う。切迫した内側の必要を覚える人たち、すなわち、神にどうしても出会いたい と心に定めた人たちは、神の祝福を受けるでしょう。霊的前進はわたしたちの飢 えに基づいていることを、わたしたちは認識しなければなりません。マタイによ る福音書第5章6節は言います、「義に飢え渇いている人たちは幸いである。彼ら は満ち足りるからである」。飢え渇いている人たちは満たされます。彼らは祝福 されている人です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。