目に見えなくても、彼の見えない臨在を信じる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じた。 見ないで信じた者は幸いである」。 1ペテロ1:8 あなたがたは、その方を見たこともないのに愛しており、その 方を今、見ていないのになお信じており、言葉では言い尽くせない、栄光に満 ちた喜びをもって歓喜しています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主が現れたのは、トマスの不信仰を対処するためだけでなく、見ることなしに 信じるよう弟子たちを訓練するためでもありました。主は弟子たちを、彼の見 えない臨在に慣れさせるため訓練しておられました。復活における主の臨在は 今日、見える臨在ではなく、見えない臨在ですから、わたしたちは見ないで信 じなければなりません。もし信じる前に見ることを期待するなら、わたしたち は間違っています。わたしたちは見ないで信じることを実行しなければなりま せん。なぜなら、主の臨在は今や、主が肉体の中におられた時のようではない からです。それは主の見える臨在でした。今や主の臨在は見えないので、わた したちの信仰を活用して、それを認識しなければなりません。わたしたちは彼 を見ることはできませんが、彼がわたしたちと共におられるという確信を持っ ています。 主の死の前、主の臨在は肉体の中の見えるものでした。主の復活の後、主の臨 在はその霊の中の見えないものです。主の復活の後の出現あるいは現れは、弟 子たちを訓練して、主の見えない臨在を認識させ、享受させ、実行させるため でした。それは主の見える臨在よりさらに便利で、優れており、尊く、豊かで 、実際的です。この愛すべき主の臨在は、復活の中のその霊です。主はその霊 を弟子たちの中に息吹き込まれたので、その霊は絶えず彼らと共におられます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」 (1996年版)メッセージ第47編から引用されています。いずれも日本福音書房か ら出版されています。