安息の中で救われる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― イザヤ30:15 神である主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「立ち返 って、静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたが たは力を得る」。しかし、あなたがたは、これを望まなかった。(新改訳) ローマ8:6 肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 兄弟姉妹よ、わたしたちの生活における一つの失敗は、わたしたちが外側の活動 を持つ時、内側で乱されることです。多くの時、外側の活動がやって来る前にさ え、わたしたちはすでに内側で乱されています。そして、このように内側で乱さ れると、外側の事柄を取り扱う力が失われるのです。わたしたちの生活の力は、 安息、平穏、信頼からやって来ることを、わたしたちは知っているべきです。容 易にいらだつ人は、神の御前で力を持つことはできません。心が乱されてしまう 人についても、同じことが言えます。わたしたちは覚えておくべきですが、わた したちの力は、内側の平穏と信頼にかかっているのです。 すべての台風には、中心に目があります。風は、中心の目の周りではとても強く 吹いていますが、中心はとても穏やかです。わたしたちの力は、この穏やかな中 心の生活にあります。外面の事柄は、荒れ狂う風のように吹いているかもしれま せん。しかし、わたしたちの内側は最も平安であることができます。「落ち着い て、信頼すれば、あなたがたは力を得る」。わたしたちの思いは、さまざまな事 柄によって乱されてはなりません。海を見てください。高波があり、強風が吹き、 海の表面は激しく揺れ動いていますが、海の深い所では何も動いていません。下 の方では、すべてがとても穏やかです。クリスチャン生活の特徴は、平穏と信頼 であるべきです。わたしたちは怠けることを期待することはできませんが、忙し い日常生活のただ中にあって安らかであることを期待することはできます。外側 には多くの事柄がありますが、内側には平安と平穏があります。わたしたちが求 める平安は、内側の平安です。内側の平安がある時、わたしたちは失敗しないで しょう。 わたしたちの主は、決して外側の環境に影響を受けませんでした。嵐が起こった 時、主は眠っておられましたが、弟子たちは「わたしたちは滅びそうです!」と 叫びました。なぜ彼らは叫んだのでしょうか? 彼らには安息がなかったからで す。しかし、主は動かされることはありませんでした(マタイ8:23-27)。兵士た ちや役人たちが主を捕えにやって来た時、主は彼らに「だれを捜しているのか?」 と尋ねられました。彼らは、「ナザレ人イエスを」と答えました。イエスは彼ら に、「わたしである」と言われました。彼らはこれを聞いた時、後ずさりして、 地に倒れました。捕えようとしていた者たちは、自分たちが捕えようとしていた 方を恐れました(ヨハネ18:2-6)。おお、主はわたしたちが絶えず賛美するのにふ さわしい方です。主は、決して外側の出来事によって動かされることなく、ご自 身の内側の存在によって生きました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第19編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。