外側では忙しくても、内側では安息する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:41 主は彼女に答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多く の事で思い煩い、心配している。(42節)しかし、無くてならないものは、ただ一 つである。マリヤはその良い分を選んだのだ。それを、彼女から取り上げてはな らない」。 マタイ11:29 わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびき を負い、わたしから学びなさい。そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだす であろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― どのようにすればわたしたちは平安で穏やかな生活を持つことができるのでしょ うか? わたしたちは、主がどのように言われたかを見てみます。主は、仕事を すべきでないとは言われませんでしたし、半分の時間だけを仕事に費やして、 もう半分の時間は霊的な事柄を取り扱うべきであるとも言われませんでした。主 はマルタに多くの事柄を行なうのは間違っていると言われたのではありません。 主はマルタに、これらの事柄が彼女の中に入り込んで彼女を煩わせることのない ようにと、思い起こさせたのです。主は、彼女があまりにも多くの仕事をしすぎ たと言われたのではありません。彼女があまりにも多くのことを心配しすぎたと いわれたのです。あなたは朝から晩まで仕事をするかもしれません。しかし、あ なたはそれで煩うべきではありません。多くの人は、外側ではあまり多くの事を していませんが、内側ではとても忙しくしています。ある人は、これから五日間 かけて行なう必要のある仕事を心配して、すでに五日間、眠れない夜を過ごして います。 兄弟姉妹よ、これがクリスチャン生活です。わたしたちは働くべきであり、怠け るべきではありません。勤勉に働く必要がありますが、内側には平安があるべき です。わたしたちの内側にはただ一つのもの、キリストがあるべきです。主はわ たしたちにただ一つのことを求められます。それは、わたしたちがどんな環境の 中でも、その環境によって触れられないことです。わたしたちは外側では忙しい かもしれませんが、神との交わりを維持すべきです。神に感謝します。マルタが いただけでなく、マリヤもいました。マリヤは最も良い分を選びました。それは 主との交わりです。主はマルタに、働きの方法ではなく内側の安息について、彼 女の姉妹から学んで欲しかったのです。わたしたちは外側ではマルタになっても 構いませんが、内側ではマリヤのようになり、主との完全な結合の中にいるべき です。わたしたちは、外側ではとても忙しくても、内側では神と交わり、安息し ているべきです。これが最も尊い経験です。 わたしたち一人一人は、このような生活を送ることができます。このような生活 は、わたしたちの体におけるものではなく、わたしたちの感覚の中にあるもので もなく、わたしたちの内側の深みにあるものです。そうすれば、わたしたちはい つも主との交わりの中にあり、いつも主の御前で生き、平安で穏やかな生活を持 つでしょう。わたしたちは覚えておかなければなりませんが、神はわたしたちに 怠惰になったり、何もしないように求めたのではありません。そうではなく、主 はわたしたちに、外側の活動を主の内住の力にゆだねて欲しいのです。わたした ちは朝から晩まで忙しいかもしれませんが、どんな人や物事もわたしたちから内 なる平安と安息を奪い去るべきではありません。わたしたちは外側では忙しくし ていても、内側では平安であるべきです。わたしたちの内側には唯一の方、キリ ストがおられるべきなのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第19編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。