追い求める者になることの褒賞 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ20:15 イエスは彼女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか? だれ を捜しているのか?」。彼女は彼が園丁であると思い、彼に言った、「ご主人さ ま、もしあなたが彼を運び去ったのでしたら、彼をどこに置いたのか、言ってく ださい。わたしが彼を引き取ります」。(16節)イエスは彼女に、「マリヤよ!」 と言われた。彼女は振り向いて、彼にへブル語で「ラボニ!」(「先生」を意味 する)と言った。(18節)マグダラのマリヤは行って、「わたしは主にお会いしま した」と弟子たちに知らせ、また彼がこれらの事を自分に言われたことを知らせ た。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もしわたしたちが主の何かをさらに見たいなら、わたしたちは主との交わりをさ らに多く持たなければなりません。マリヤが主を見たのは、最上のモーニングウ オッチ(デボーション)でした。このモーニングウオッチで彼女は主に会い、主は 彼女に出会われました。彼女は主に祈り、主は彼女に語られました。彼女は主と 交わり、主は彼女に彼の言葉と彼の啓示を与えられました。 この章には、明らかに三種類の弟子たちがいます。第一種類はマリヤによって、 第二種類はペテロとヨハネによって、第三種類は怠惰な者たちによって代表され ています。怠惰な弟子たちには、主の復活の啓示も発見もありませんでした。ペ テロとヨハネには発見と啓示がありましたが、経験がありませんでした。マリヤ には発見、啓示、経験がありました。この記録に示されていることは、今日のク リスチャンについても同じです。 この記録はキリストの復活の達成された事実を啓示しますが、彼の復活の発見に は依然として、わたしたちが追い求めることを必要とし、彼の復活の経験には、 さらに進んで追い求めることを必要とします。わたしたちは主の復活を発見する ことができる前に、まず主を追い求めなければなりません。また、彼の復活を経 験することができる前に、さらに進んで主を追い求めなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第45編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。