主の復活を発見する道 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは早朝、まだ暗いうちに 墓に来ると、墓から石が取りのけられているのを見た。(11節)……彼女は泣きな がら、身をかがめて墓の中をのぞき込んだ。(12節)すると、二人の御使いが…… 座っているのが見えた。(13節)彼らは彼女に言った、「女よ、なぜ泣いているの ですか?」。彼女は彼らに言った、「だれかがわたしの主を取り去って、彼をど こに置いたのか、わからないのです」。(14節)彼女はこう言って、後ろを振り向 くと、イエスがそこに立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであると はわからなかった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の復活は成就されましたが、それを発見するには、彼の弟子たちが追い求める 必要がありました。主の復活の発見は、主イエスを愛する追い求める者たちによ ってなされました。この宇宙で達成された主の復活のような、すばらしく奥義的 な事実があります。しかし、どのようにしてそれを知ることができるのでしょう か? どのようにしてそれはわたしたちに啓示され得るのでしょうか? どうす ればこのビジョンを持つことができるのでしょうか? ただ主を愛し、主を追い 求めることによってです。主の復活の事実は達成されましたが、それは発見され、 見られなければなりません。 マグダラのマリヤが墓に来る前に、命における復活は事実上、達成されていまし た。しかし、マリヤは主を愛し、主を追い求めることによって、それを発見しな ければなりませんでした。これは一つの原則を定めています。今日、キリストの 復活は達成された事実ですが、多くの人はそれを見ていません。彼らはそれを発 見したという点にまで達したことがありません。あなたはキリストの復活の事実 を発見したでしょうか? 主が復活させられたという啓示やビジョンを受けたで しょうか? わたしは、あなたが主の復活の知識、教理、物語を持っていること を知っていますが、その事実を霊の中で発見したでしょうか? そのような発見 をしたかったら、わたしたちはまず主を愛し、主を追い求めなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第45編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。