贖いのための血を流す ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ19:33 しかし、彼らがイエスの所に来ると、彼がすでに死んでおられた のを見たので、彼の足を折らなかった。(34節)しかし、兵卒の一人が彼の脇を 槍で突き刺すと、直ちに血と水が流れ出た。 へブル9:22 こうして、ほとんどすべての物は、律法にしたがって血できよめ られます。血を流すことがなければ、赦しはありません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 二つの実体、血と水は、主の刺し通された脇から流れ出ました。血は贖いのた めであり、それは罪を対処します。水は命を分け与えるためであり、それは死 を対処します。主の死は、消極面でわたしたちの罪を取り除き、積極面でわた したちの中に命を分け与えます。わたしたちは主を命の生ける水として取るこ とができる前に、まず清められなければなりません。ですから、血が第一の項 目として述べられ、水が第二の項目として述べられているのです。わたしたち は血によって清められた後に、主を命として受け入れることができます。 主の脇から流れ出た血は贖いのためです。へブル人への手紙第9章22節は、「血 を流すことがなければ、赦しはありません」と言います。ここの血はキリスト の死の贖う面を表徴します。わたしたちの贖いのために流れ出た血は、過越の 小羊の血によって予表されました。ゼカリヤ書第13章1節が示しているように、 この贖う血は罪を洗うための泉を形成しました。そのような泉のゆえにハレル ヤ! この泉は飲むためではなく、洗うためです。流れ出た血は、召会を買い 取るためでもありました(使徒20:28)。罪を洗うために泉を形成した血は、召会 を買い取るための代価でした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」 (1996年版)メッセージ第43編から引用されています。