死は命の主を煩わすことができない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ18:10 シモン・ペテロは、剣を持っていたので、それを引き抜き、大祭 司の奴隷に打ってかかり、右の耳を切り落とした。その奴隷の名はマルコスであ った。(11節)イエスはペテロに言われた、「剣をさやに収めなさい。父がわたし に与えられた杯を、わたしは飲むべきではないか?」 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主は自分が逮捕されることに対して何の抵抗もされませんでした。主はご自身を 死に引き渡すことによって、ご自身が命であることを証明されました。死がなけ れば、彼はどのようにして彼が命であると証明することができたでしょうか?  それは、彼が死の中へと入って行かれ、しかも死に征服されないことによって証 明されるのです。主は死によって脅かされたり、煩わされたり、統制されたり、 支配されたりしませんでした。 主は、宗教家たちが政治家たちと共に来て、彼を逮捕し、彼を死に引き渡そうと しているのを知った時、恐れませんでした。彼は大胆に彼らに会いに行き、ご自 身を彼らに引き渡されました。第二に、死が主に臨んだ時、主は落ち着いておら れました。死の面前で彼は平静な態度で彼の弟子たちを顧み、彼の弟子たちを去 らせるようにと彼の逮捕者たちに告げられました。この二つの章に描写されてい るどの光景においても、主は平静にしておられました。彼は死の恐れに動かされ ることも影響されることもありませんでした。同じように、主は大祭司の前でも、 ピラトの前でも落ち着いておられました。彼はそんなにも平静であったので、十 字架につけられる時でさえ、悩まされませんでした。十字架上にいた間、彼は母 のことを顧みることさえできました。その苦難の時の間、苦悩が彼の上に積み重 ねられましたが、記録は、彼が常に落ち着いておられたことを記しています。 ヨハネによる福音書第18章と第19章は、主が死の中へと入って行った時、いかに 強く、力に満ちておられたかを示しています。死が脅かしていた時、彼は強く、 力に満ちておられ、その影響によって征服されたりしませんでした。主は死の中 へと入って行き、死によって傷つけられることも、死によって捕らえられること もなく、そこから出てくることができました。主が命であることの何という証拠 でしょう! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第42編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。