神を見る純粋な心(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:8 心の純粋な人たちは幸いである。彼らは神を見るからである。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよ りも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 例えば、もしあなたの心が神にあって、あなたの服装にないなら、人があなたの 衣服を汚しても破っても、あなたは怒ることも恨むこともないでしょう。しかし、 あなたの心が神になく、服装の上にあるなら、少しでも衣服が汚されると、あな たは立腹し、恨み言を言うでしょう。これが暗やみにいることです。あなたの心 が神に向かうことによってはじめて、あなたは衣服にとらわれないでいることが できます。そうであれば、光を得ることができ、見えるようになります。 また、あなたの心が子供の上にあって、神よりも子供を愛しているなら、それは やはり暗やみの中にいることです。これは、親が子供を愛してはいけないという ことではありません。親の心が子供に全く奪われて、神よりも子供を大切にして いる場合を言うのです。ある兄弟姉妹は、他の物事に対してははっきりしていま すが、自分の子供のことになると、溺愛していて、盲目になっています。子供が 無分別な行動をとっても、彼らにとって、それは分別あることなのです。このよ うな兄弟姉妹も、やはり暗やみの中にいるのです。彼らの心が神に向かう時、は じめて子供に心を奪われないようになります。そして彼らは光を得、見ることが できるようになります。 また、ある兄弟姉妹については、彼らの心はお金をむさぼっています。このよう な人は明らかに暗やみの中にいます。主ははっきりと、「あなたの宝のある所に、 あなたの心もある」と言われました。あなたの目の前にお金があるなら、神も光 も見えなくなります。そして確かに暗やみの中にいるのです。もしあなたの心を お金の上から切り離すなら、あなたは光を受けるようになります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。