神を見る純粋な心(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ1:5 さて、わたしたちが彼から聞いて、あなたがたに伝える知らせは これです。すなわち、神は光であって、神には少しの暗やみもありません。 マタイ5:8 心の純粋な人たちは幸いである。彼らは神を見るからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 光とは何でしょうか? ヨハネの第一の手紙第1章5節では、「神は光である」と 言っています。ただ神だけが光です。わたしたちは、光に出会って、神に出会わ ないということはあり得ません。神は光の父です(ヤコブ1:17)。また神は光の源 です。あなたが光を見たというなら、それは神を見たということです。あなたは 内側で神に出会ったのです。わたしたちは神を見たからこそ、光を持つのです。 神を見ることができる心とは、どのような心でしょうか? 心の純粋な人が神を 見るのです。それでは、何を純粋と言うのでしょうか? 純粋な心とは、ただ神 を求める心です。ただ神に向かう心です。この広い宇宙で、ただ神に向かうこと 以外に何もいらないというひたむきな心だけが、神を見て、光を見るのです。愛 する兄弟姉妹よ、あなたは他の聖徒たちがつまずき倒れるのを見たことがあるで しょうか? 彼らはどうしてつまずき倒れるのでしょうか? 聖書の中に一つの 原則があります。それは、すべてつまずき倒れる人は、必ず暗やみの中にいると いうことです。ある人は真昼でもつまずきます。それは自分をつまずかせるもの を見ていないためであり、それは暗やみの中にいるのと同じです。人々がつまず くのは、暗やみの中にいることの証明です。ですから兄弟姉妹よ、あなたがどん なにうまく弁解しても、すべては暗やみの中にいることによって起こったのです。 ヨハネの第一の手紙第2章10節から11節は言います、「自分の兄弟を愛している 者は、光の中に住んでいます。そして彼の中にはつまずかせるものがありません。 しかし、自分の兄弟を憎む者は、暗やみの中にいるのであって」。人が光の中に いるなら、つまずくことがないのです。人がつまずくのは、光の中にいないから です。そして暗やみの中にいるからです。 もし一人の人の心がただ神を求めているのなら、神以外の何ものもいらないとい うのなら、どうしてつまずくことがあり得るでしょうか? もしあなたの心がた だ神だけを求めていて、ほかのものはすべて眼中にないなら、あなたをつまずか せるものは何一つありません。たとえすべての人があなたを誤解し、軽視し、あ なたに反対したとしても、あなたをつまずかせることはできません。なぜなら、 あなたの心は人の了解を求めていないからです。自分があがめられようとも思っ ていないからです。人の同情、人の称賛を得ようとしているのではなく、ただ神 を求めているからです。もしあなたが人からの誉れを得ようとしているのでした ら、人々があなたを軽蔑した時、当然あなたはつまずくでしょう。あなたの心が ただ神を求めているのでしたら、あなたの環境が十倍に悪くなったとしても、あ なたはつまずき倒れることがありません。ただ心が神に向いていない人、神以外 に求めるものを持つ人だけが、つまずくのです。神以外に慕うもののある人は、 暗やみの中に住んでいるのです。光の中にいる人は、つまずくことのない人です。 ある兄弟姉妹は涙を流しながら賛美します。彼らの心は非常に悲しんでいますが、 なお神を賛美します。なぜなら、彼らの心は神に向かっているからです。彼らは 光の中にいるので、何事も彼らをつまずかせることはできません。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。