わたしたちの持っているもので建造する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント14:26 それでは兄弟たちよ、どうなのですか? あなたがたがいつ も集まるときには、それぞれの人に詩があり、教えがあり、啓示があり、異言が あり、解釈があります。すべての事を、建造のために行ないなさい。 コロサイ3:16 知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわ せ、詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みの中で、心から神 に向かって歌いなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 教会には二つの問題があります。第一は、「ない」にもかかわらず「ある」と思 う場合です。神はその人に何も語っておらず、その人の中で働いてもおられませ ん。その人は内側で何も持っていないのに、話すのが好きで、自分を表すのが好 きなのです。こうである時、教会は建造されません。第二は、ある人たちが聖霊 の導きに従おうとしないことです。主はある兄弟姉妹にすでに語っておられるか もしれません。ところが、彼らは語ることを控えてしまうのです。このようにし て教会は、受けるに値する供給を奪われてしまうのです。もしあなたが、自分の 内側が空っぽであると感じれば、静かにしているべきです。もしあなたに何かが 「ある」ことがわかれば、それを教会に供給すべきです。聖霊は、あなたが持っ ているものを通して、命を集会に分与されます。その結果、神の子供たちは命に 触れることができるようになります。神はあなたの内側に一つの言葉を置かれる かもしれません。その言葉は、あなたが仕事をしている時も、道を歩いている時 も、あなたの内側にあります。あなたは、神が自分に語られたことを知ります。 この言葉は、ただあなたのためだけのものではなく、教会のためのものでもある ことを、あなたは知るべきです。あなたに何かが「ある」時、あなたはそれを教 会に供給すべきです。 旧約において幕屋が建てられた時、人々は金や銀を神にささげました。今日、わ たしたちも同じです。わたしたちは、自分が持っているものを与えなければなり ません。ある人たちには啓示があり、ある人たちには教えがあり、ある人たちに は詩があります。それぞれの人に、自分の持っているものを持って来させましょ う。 わたしたちは日常の歩みにおいて、神と絶えず交わりを持ち、またわたしたちの 中で神が働いてくださるように、神を仰ぎ望まなければなりません。その結果、 わたしたちには何かが「ある」ようになり、教会にそれを供給できるようになり ます。神はわたしたちを集会の中で、わたしたちがすでに持っている詩や啓示な どにしたがって導かれることを、覚えておかなければなりません。わたしたちは まず、他の人々と分かち合うことのできる何かを持たなければなりません。わた したちは日々の歩みの中で、何かを学び蓄えてきているのですから、集会の中で 導きを受けることができ、他の人々に供給することができます。わたしたちが教 会に与えるものは、わたしたちが突然思いついたものや、自分の良い考えにした がったものなどであってはなりません。それは、わたしたちが日常生活で持って いるもの、すなわち神が日常生活の中で与えてくださったものであるべきです。 もしわたしたちが教会に自分の持っているものを供給するなら、教会は建造され ます。そして、兄弟姉妹は助けを受けます。もしみなが自分の持っているものを 教会に供給するなら、その結果は生き生きとしており、また豊かです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第12編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。