負担が下りるまで祈る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ18:1 またイエスは、彼らが絶えず祈るべきであり、また失望しないように、 たとえを話して……。 コロサイ4:2 わたしたちが主イエスを通して、どのような命令をあなたがたに 与えたかを、あなたがたは知っています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 祈りの務めを果たすために、わたしたちは神の御前で祈りの負担を得なければな りません。わたしたちは、負担が祈りの秘訣であることを知らなければなりませ ん。もしクリスチャンが内側で一つの負担を覚えなければ、その事のために祈っ ても、その祈りは成功しません。祈りの集会の中で、ある兄弟姉妹は多くの事を 取り出して祈ります。しかし、あなたの内側に触れるものがなければ、真に祈る ことはできません。ですから、兄弟姉妹が祈りの集会に集まってくる時、祈りの 負担があってこそ祈ることができるのです。それと同時にあなたは、自分自身の 負担に注意を払うだけでなく、集会に出ている別の兄弟姉妹の負担にも注意を払 うべきです。 例えば、ある姉妹は自分の夫のことで悩んでおり、ある兄弟は病にかかっている とします。祈りの集会の中である兄弟が、神がその姉妹の夫を救ってくださるよ うにと祈り、続けて別の兄弟が、神がその兄弟の病をいやしてくださるようにと 祈り、また別の兄弟が別の事について祈るとします。このような祈りは、各自が それぞれ自分の事を祈っているのであって、三度の祈りの原則にしたがったもの ではありません。第二の事について祈る前に、一つの事を徹底的に祈っていませ ん。わたしたちは必ず祈りの集会で、一つの祈りの負担が下りたかどうかに心を 留める必要があります。もしみながその姉妹のために祈る負担を下ろしたのであ れば、次に、病にかかっているあの兄弟のために祈ることができます。もし最初 の事のための祈りの負担が下りなければ、第二、第三の事に飛び移って祈るべき ではありません。 もしある事柄に関して、集会全体の負担がまだ下ろされていなければ、あなたは 個人的な感覚によって別の祈りを割り込ませるべきではありません。必ず集会全 体の霊に触れるようにし、必ず集会全体の感覚の中に入り込まなければなりませ ん。ある事は一度の祈りで成就されるでしょうし、ある事は二度祈ってはじめて 成就されるでしょうし、ある事は三度、五度と祈ってはじめて負担が下ろせるの です。祈る回数の多少によるのではなく、負担を下ろしたかどうかによります。 そこではじめて祈るのをやめることができます。三度祈る原則とは、ほかでもな く負担を下ろすまで祈ることです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第11編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。