豊かさは照らしから来る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:8 すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵 みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、異邦人に福音として宣べ 伝えるためであり、(9節)それはまた、万物を創造された神の中に、各時代にわ たって隠されてきた奥義のエコノミー(経綸)が何であるかを、すべての人に明 らかにして、彼らが見えるようになるためです。 エペソ2:7 それは神が、キリスト・イエスの中で、わたしたちに対する慈愛の 中の彼の恵みの卓越した豊富を、来たるべき時代において展覧するためでした。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 豊かさは、光に照らされることから来ます。光がわたしたちを照らせば照らすほ ど、わたしたちは豊かになります。しかし、わたしたちが光に照らされた時、増 し加えられたとは感じられず、むしろはぎ取られた感じがします。光が照らす時、 あなたの以前のものはみな打ち破られます。光が照らす時、あなたの元来のもの はみな壊されます。わたしたちが真に光の下にいれば、神の御前で増し加わるこ とは事実ですが、しかしわたしたちの側からはそのようには感じられません。主 の御前でのことと、わたしたちの感覚とは、違うものなのです。神が一回、二回、 三回とあなたに与える時、あなたがもし増し加わったと感じるなら、あなたは見 ていないのです。あながた本当に見るなら、あなたは自分が救われたばかりであ り、始まったばかりであるかのように感じるでしょう。これは、あなたが救われ ていなかったというのではなく、まだ救われていなかったかのようにあなたが感 じるということです。その時にあなたは、自分には何もなかったかのように感じ、 まだ始まっていなかったかのように感じるでしょう。ですから、豊かな人とは、 光の下で自分は何もない者であると感じている人です。 わたしたちの神は豊かな神ですから、ご自分の子供たちが貧しくあるのを願われ ません。神の働きは、木、草、刈り株の働きではありませんし、また神が用いら れる器は卑しい器ではありません。彼は豊かな神ですから、豊かな器を用いられ ます。神の豊かさはとても深く、厚いのです。神の豊かさは「あふれるばかり」 なのです(マラキ3:10)。神の恵みは常にあふれています! 神がわたしたちの身 の上になさることは、みなあふれています。神のなさることには無理がなく、弱 々しいこともなく、ほんの少しだけでもありません。この豊かな神は、わたした ちを豊かな人にすることができ、わたしたちにますます多く与え続けられます。 神がわたしたちに何かを与えてくださるたびに、わたしたちは初めて得たかのよ うに感じます。これは不思議ですが、事実です。どうか神がわたしたちをあわれ んでくださり、わたしたちが神の御前で真に何かを見ることができ、またわたし たちが真に光を持つことができますように。高ぶる人は愚かな人であり、常に貧 しい人です。どうか神がわたしたちの中を空っぽにしてくださり、わたしたちが 神の豊富の中に入ることができますように。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。