無益な言によって命を漏らさない(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 箴言13:3 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者 には滅びが来る。(新改訳) マタイ12:36 わたしはまたあなたがたに言う。人は自分が語るすべての無益な言 について、裁きの日に言い開きをしなければならない。(37節)というのは、あな たは自分の言によって義とされ、自分の言によって罪に定められるからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ソロモンの書いた箴言のこの句が、肉体の命を指しているのか、あるいは霊の命 を指しているのか、はっきりとはわかりません。わたしたちはその原則から霊的 事柄を見ます。この句はわたしたちに、主を追い求める人、すでに命を得ており、 またその命をもって教会に供給を与えている人でさえ、言葉を慎まなければなら ないことを示しています。言葉を慎まなければ、命が漏れてしまいます。なぜあ る人は神の御手の中であまり役立たないのでしょうか? それは彼が命を漏らし てしまうからです。ですから、あなたが彼に接する時、ただ死に触れるだけで、 命に触れることがないのです。それは、彼が言葉において命を漏らしてしまった からです。ですから、わたしたちは主の御前で自分の口を守り、それもしっかり と守らなければなりません。多くの先例がわたしたちに示すように、無益な言ほ どひどく命を漏らすものはありません。これは決して、無益な言よりも罪のほう がましであるというのではありません。罪以外にわたしたちの命を最も失わせる ものは、わたしたちの無益な言であるということです。 マタイによる福音書第12章36節は、人々の語った汚れた言葉を指しているのでし ょうか? そうではありません。それでは、人々の語った冒とくする言葉を指し ているのでしょうか? そうではありません。それでは、人々の語った悪口でし ょうか? そうではありません。ここでは、人々の語った「無益な言」について 語っているのです。無益な言とは、余計な言葉、関係のない言葉、不必要な言葉、 うわさを立てる言葉です。わたしたちは、冒とくする言葉を語るのが重大なこと であると知るだけでなく、制御されていない言葉も重大であることを知らなけれ ばなりません。無益な言によって人に罪を犯したなら、償うことはできないので す。あなたは人に対して自分の罪を告白するかもしれません。また人に対して自 分の言葉を取り消すことができるかもしれません。しかし、声はもうすでに人の 中に入り、取り消すことができないのです。人の物を盗んだら弁償できます。し かし、言葉で人に対して罪を犯すなら、償うことができないのです。この罪は主 の御前に行かなければならないのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第9編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。