すべての障害が取り除かれるのは、わたしたちが神の中にいるためである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:2 わたしの父の家には多くの住まいがある。もしそうでなかったなら、 わたしはあなたがたに話したであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行 くのだから。(3節)わたしが行って、あなたがたのために場所を用意したなら、 再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える。わたしがいる所に、あなたがたも いるようになるためである。(20節)その日には、わたしがわたしの父の中におり、 あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなた がたは知るであろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 「あなたがたのために、場所を用意しに行く」とは、主が場所を用意し、贖いを 完成し、道を開いて、人が神の中へ入る立場を作ることを意味します。それは、 わたしたちが神の中にいる道を主が整えることを意味します。 しかし、わたしたちのような罪深い者が、どのようにして神の中へ入ることがで きるのでしょうか? どのようにしてわたしたちが義で聖なる神の中へ入ること ができるのでしょうか? わたしたちは神からはるか遠く離れています。どのよ うにしてわたしたちは彼の中へもたらされることができるのでしょうか? 分離 するすべての要素、罪(単数)、罪(複数)、この世、悪魔、死、肉、自己の障害 が、廃棄されなければなりません。そうすれば、わたしたちはさらに神へ近づけ られるでしょう。しかも、神へ近づけられるだけでなく、神の中へ近づけられる のです。 このためには、ある働き、ある準備が必要でした。主は準備の働きをしなければ なりませんでした。彼は天にではなく、十字架に行って、すべての障害を取り除 かなければなりませんでした。すべての障害は、主のすべてを含む死によって取 り除かれました。十字架上で主は、わたしたちと神との間のすべての障害物を対 処されました。彼は、罪(単数)、罪(複数)、この世、この世の支配者、肉、 自己、古い人、死までも対処されました。主は死と復活によって、わたしたちが 神の中へもたらされるように道を整え、場所を用意されました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第30編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。