イエスはどこにでもおられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ13:1 過越の祭りの前、イエスは、この世を去って父へと至る時が来たこ とを知り……。 ヨハネ14:1 あなたがたは心を騒がせてはならない。神の中へと信じ、またわた しの中へと信じなさい。(3節)わたしが行って、あなたがたのために場所を用意 したなら、再び来て、あなたがたをわたし自身に迎える。わたしがいる所に、あ なたがたもいるようになるためである。 ローマ9:5 ……彼は万物の上にいまし、永遠にほめたたえられる神です。アーメン。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― なぜ主は弟子たちに、彼が神と同じであると述べられたのでしょうか? その理 由は、主が弟子たちに、主が行こうとしていると告げられると、彼らが、主の行 かれるのは、自分たちを離れて行くことを意味するという人間的な考えを持った からです。弟子たちは、神はどこにでもおられることを知っていたので、主は彼 らに、自分は神と同じであると告げられたのです。神がどこにでもおられるのと 同じように、彼もどこにでもおられます。神には時間と空間の要素がないように、 彼にもこれらの要素はありません。 主の行くことは、実は主の来ることであったのですから、主の行くことによって 彼らは心を騒がせる必要はありませんでした。主は、彼らが信じていた神と同じ です。彼らが神を信じたなら、彼をも信じなければなりませんでした。なぜなら、 彼は常に臨在しておられる神と同じであるからです。主は彼の弟子たちに次のよ うに言っておられるようでした、「わたしが行くことで悩んではなりません。心 を騒がせてはなりません。あなたがたが神を信じるなら、わたしをも信じなけれ ばなりません。神はどこにでもおられます。彼には、時間と空間の制限がありま せん。わたしも同じです。わたしは行きますが、依然としてあなたがたと共にと どまっています。また、わたしはあなたがたと共にとどまっていながら、わたし は行きます。わたしはどこにでもいます。もしあなたが神を信じるなら、わたし をも信じなければなりません。なぜなら、わたしは神と同じであるからです」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第29編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。