神聖な命の栄光は死を通して現される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ12:23 イエスは彼らに答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時が来 た。(24節)まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。一粒の麦が地に落 ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、それが死んだなら、多く の実を結ぶ。(28節)父よ、御名の栄光を現してください」。その時、天から声が 臨んだ、「わたしはすでに栄光を現した。そして再び、栄光を現そう」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主はどのようにして栄光を受けられたのでしょうか? 彼は死と復活を通して栄 光を受けられました。なぜなら、彼の神聖な要素が解き放され、現されたのは、 死と復活を通してであったからです。父なる神はどのようにして栄光を受けられ たのでしょうか? それは、御子が栄光を受けることによってでした。御子の神 聖な要素が彼の死と復活を通して解き放され、現された時、御父の神聖な命が解 き放され、現されました。こうして、御父は御子が死と復活を通して栄光を受け た中で、栄光を受けられたのです。 主の死と復活が父なる神に栄光を帰したのは、彼の死と復活が彼の内側から神の 神聖な要素を解き放ったからです。神の神聖な要素は、彼の肉体に閉じ込められ ていました。それは、一粒の麦の命の要素が、その殻の内側に閉じ込められてい るようにです。麦粒の命の要素は、どのようにして栄光化されるのでしょうか?  内側の命の要素が現れ、栄光化されることができるためには、その麦粒は死な なければなりません。それは神の神聖な要素についても同じです。 わたしたちがある花の種を持っているとします。その種の命の中には多くの美し さがありますが、どのようにしてその美しさは現されることができるのでしょう か? その種は死ななければなりません。その種が地に落ちて、死に、生長する なら、その内側の完全な美しさが現されるでしょう。それが栄光であり、栄光化 された種の中の命です。同じように、一時の間、神は主の肉体の内側に閉じ込め られていました。主は死なれて、彼の内側の神が解き放され、現され、復活の中 で栄光を帰せられなければなりませんでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。