この世的な栄光に対する主の反応 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ12:12 その翌日、祭りに来ていた大群衆は、イエスがエルサレムに来ら れると聞いて、(13節)しゅろの木の枝を取り、彼を迎えに出て叫んだ、「ホサナ、 主の御名の中で来られる方、イスラエルの王に祝福あれ!」。(18節)そして、イ エスがこのしるし(イエスがラザロを死人の中から復活させたこと)を行なわれた ことを聞いたので、群集は行って彼を迎えた。(23節)イエスは彼らに答えて言わ れた、「人の子が栄光を受ける時が来た。(24節)まことに、まことに、わたしは あなたがたに言う。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままであ る。しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この時点で、この世的な見方によれば、イエスは彼の黄金時代におられました。 主がラザロを死人から復活させられたので、ユダヤ人の大群衆は彼を高く評価し、 彼を温かく歓迎しました。人間的に言えば、この時は主にとって、彼が地上にお られた間で最も栄光ある時でした。すべての人が彼を賛美し、歓迎し、ほめたた え、尊敬しました。 主がユダヤ人とギリシャ人の両方に歓迎され、ほめたたえられたまさにその時、 彼は何と言われたでしょうか? もしわたしたちがそこにいたなら、あるいはそ のような歓迎がわたしたちにさしのべられたなら、わたしたちはこう言ったでし ょう、「主を賛美します。今わたしたちが何かを行なって神に栄光を帰す時です」。 しかしながら、主イエスは興奮されませんでした。歓迎が大きければ大きいほど、 彼はますます冷静になられました。彼は追い求める者たちに、自分が一粒の麦で あると告げられました。これが、そのような人の歓迎に対する主の態度でした。 これが、人の栄誉の栄光に対する彼の反応でした。一粒の麦が増殖する道は何で しょうか? それは歓迎されることやほめたたえられることによるのではなく、 地に落ちて死ぬことによります。これは絶対的に人の観念に反しています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(一)」(1996 年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。